ー17ー






ホテルの前に若林は立った。
昼間、岬が言っていた『仕事』をするホテルだ。
改めて名前を聞くと「あぁ」と若林は思った。

合宿中に抜け出して岬と入ったホテル。
部屋に戻らなかった、試合後の夜に泊まったホテル。
そして、今、目の前にあるホテル。

どれも同じ系列と容易にわかる名前がつけられていた。もちろん、大小に拘らず一流と名のつくホテルばかりだ。
そればかりか、ホテル以外にも多種に渡った経営をしているグループの名前であることを若林は知っている。それだけで、いかに大きな組織が後ろにあるかわかってしまう。



若林は足を踏み入れた。

今サッカーでこれだけ頑張っていて、報道されてもいるのだ。
一目で自分がハンブルグの若林とわかってしまうだろう。
かといって、変装したところで、どうせすぐにバレてしまうのも簡単に想像できた。

だったら・・・。

堂々と。

堂々と一般客を装って入ることにする。








自動ドア脇に立つ、ボーイの不振な目も無視をして、そのまま落ち着いた白い絨毯の上へと足を滑らせた。ふわふわと足取りが覚束無くなりそうなほどの感触に眉をあげるが、そのまま顔を上げる。
そのまま、フロントに向かい真っ直ぐと歩く。
待機していた別のボーイがすぐにやってくるが、大して荷物もないし、普通に考えれば回りの客が顰めっ面をしそうなほど、ホテルには不似合いなラフな格好だった。
ジーンズに薄手のトレーナー。被っている帽子は、ひさし部分に多少の折れがある。靴もただのスニーカーで、汚れがついたままだった。

マナーのことまで知ったことか!


若林は、フロントに肘を預け、乗り出すほどに顔を近づける。

「部屋は空いていないか?ダブルを一つ。・・・あぁ、いやスイートがいいな・・・。なるべく豪華な部屋がいい。」
「あ・・・あの・・・。」
「なければ、他のところへ行くが、あるのか、ないのか?」


フロントがチラリと若林の横に目をやる。
その横には、ブロンドの髪をサラリと手で流して綺麗な、しかし、どこにでもいそうな女性が同伴していた。
フロントを受け持つ、まだ歳若い従業員は、それはホテルマンとしては洗練された物腰で客に対応しているのだろうが、その目の先には、若林の隣に立つ女性の胸元をしっかりと捕らえている。それだけ、誰もが目を引いてしまうほどの谷間を露わにしたシャツを着て、脚も下着がギリギリ見えるのではないかと思われるほど短いスカートを穿いていた。
いわゆる街角にいるごくごく普通の若者で、服装もパーティなどには、いや、それこそ若林同様にこのホテルにさえ、到底連れて来れる格好ではない。
ただ単にホテルに泊まるだけなら、改まってドレスアップする必要もないが、若林自身も連れの女性も、ただ単に道すがら寄りました程度にこのホテルに来ましたという感じだ。

それでもやはり若林の懸念していた通り、変装も何もしていない状態だったので、すぐにその正体は受付の青年にばれてしまった。
ただ、女性同伴ということもあり、本来ならタブーなのだろうことで多少気を許していたのがいけなかったのか、この青年はそれを口にしてしまう。

「あ・・あの、サッカー選手の・・・、ハンブルグの若林選手・・・・と御見受けしましたが・・・。」

内心、余計なことを、と怒りが湧きあがるが、それは淡々と受け答えをするように若林は努めた。

「だったら、何だ?部屋はないのか?」
「す・・・すみません。失礼しましたっ!部屋は・・・、あ・・・あります。では、こちらの用紙に記入を・・・・。」



多少ひきつけた指を振るわせる受付相手に淡々と手続きを済ませると、若林は連れの女性の肩を抱き、そのままエレベーターへと向かった。
受付係には、誰にも言うなと目で制しておいた。
そんなことにはお構いなしに、一緒にいる女性は若林にしな垂れかかり、うっとりとしている。

案内も必要ないと、近づいたボーイを手で追い払い、そのまま歩いてエレベーターに乗って、部屋へと向かった。










若林は部屋の扉をバタンと閉めると、女性の肩から手を外した。

「ふ〜〜ん。いい部屋ね?」

キラキラと光るブロンドの糸を自らの手で梳きながら部屋を見渡した。

「で、いいの?この部屋好きに使って・・・。」
「あぁ。それが契約だろう。酒も飲んでいいぞ。・・・あ〜、ただし部屋を荒らさない程度にほどほどに頼む。」
「うふふ。わかったわ・・。」
「そのかわり、覚えているだろうな?俺はずっとこの部屋にいて、お前と過していることになっているんだからな。」
「えぇ、もちろん!」
「頼むぞ!」

そう告げると若林は袖を捲くり時計に目をやる。捲くった袖を眺めて、まるで日向だ、と若林は苦笑する。
針は一般家庭では就寝にかかっている事だろう時間を指していた。
ただでさえ、このホテルには相応しくない格好に、この時間だ。フロントが嫌な顔をするのも無理はない。普通なら叩き出されても文句は言えないだろう。
が、そこはやはり本当の一流とはいえない、見せ掛けの一流ホテルだ。金には強欲な商売をしているだけある。金づるになる客には、ホイホイだ。



もう、そろそろか。と、ドアに向かう。


「どこ行くの?若林・・・だっけ?サッカー選手の。」
「どうして知っている?さっき街で声を掛けたときは、サッカーには興味がないって言ってたじゃないか?」
「だって、フロントが言ってたじゃない。あんたのこと、サッカー選手の若林だって・・。それに署名もそう書いてあったし・・。」

ギロリと若林が睨むと女性は肩を竦めた。

「別にいいけどね。あんたがどこの誰だって。一晩、このホテルに泊まって好きに過していいのと引き換えにあんたの彼女の役を引き受けたんだから。しかも、何も口を出さない条件で・・・。」
「だったら、好きに過せばいいだろう?向うの部屋に酒もあるし・・・。俺はお前に手を出さない約束も守るし・・。」
「わかったわ。好きにさせてもらうわ・・・。」

女性は一度は座ったソファを名残惜しそうに立ち上がると、奥の部屋へと続くドアに向かった。外では煩かったコツコツ響くヒールの音も今は聞こえない。足元は暖かいほどにふわふわしていたがその足取りは多少乱暴に感じられた。
それでもゆっくりとドアを開けると、扉の向うは女性の想像以上の部屋だったのか、ほうっとため息が漏れた。

「行ってらっしゃ!」

そう後ろ手でひらひらと手を振り、女性はそのまま扉の向うへと消えた。


はぁ、とため息を漏らし、若林は再度時間を確認する。
岬の話によれば最上階に11時。
若林のいる部屋の一つ上の階。
今いるこの部屋は契約を結んだ女性の部屋になった。


だったら若林はどこの部屋で泊まるのか。





パタリ



重厚なドアはゆっくりと閉まった。
誰にも会うことなく、若林は階段を使って、最上階へと向かった。






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3ヶ月ぶりで、これかよ・・・。(滝汗)

2006.06.08.