ー18ー




足の長い絨毯に汚れを擦り付けてしまうほどに足音を立てることに気をつけて、若林はホテルの最上階の廊下を歩く。
若林の選んだ部屋もかなりの上級のクラスだが、ここはまた特別なのだろう。人の気配が全くしない。かなりの大物か、それとも関係者の上役か、決まった人物しか入れないだろうほどに人の出入りはなかった。
ありがたいことだが、警備員がいないだけマシというものだろうか?


岬の言っていた部屋というのは、どこにあたるのか、捜すまでもなくすぐに見つかった。当たり前か、このフロアーには部屋が他の階の数の半分もない。その分、一部屋あたりの内部はかなりの広さと間取りに仕切られているのだろう。いっそ、一般家庭の方がよほど小さく感じられるだろうほどに。
ドアの前に立つと、若林はそのノブに目を見張る。
これもまた、通常で考えればありえない状況でドアの隙間がほんの少しだが、開いていた。
岬だな、と若林は容易に原因に思いつく。


『僕を止めてよ。』



それはどういった形で止めればいいのか、よくはわからない。
単純に殴りこんでも騒ぎになるだけだろう。
騒ぎになれば当然外部にもこの状況がわかり、岬の行ったことは誰もが知ることになるだろう。
上手くいけば、これを切欠に岬はこの世界から逃れる事ができるかもしれない。が、下手をすれば世間に知られる前に騒ぎそのものをもみ消されて、今以上に岬の立場が悪くなるかもしれない。それどころか、自分が関わっていることがバレて最悪の事態になり兼ねない。
それは岬の望んでいる事とは思えなかった。

場所が場所だけに世間に事がバレるのは、無いだろう。ここで一気に展開がひっくり返るほどの出来事を起こすことは出来ないだろう。
ただ単に、岬に若林の気持ちが伝わればいい。




ゆっくりとドアノブを手にする。
ほんの隙間を作っていたドアは、音も立てずにそのまま今度は人一人通れるほどに開かれた。
目の前はリビングルームになっていて、明りは点いているが、誰もいなかった。
岬とその客が行っている事を考えれば、いるのは寝室か・・・。それともシャワールームにでもいるのか・・・。
聞こえない程度の深呼吸をした。
リビングにも警備も付き添いの人間もいないことを見ると、御忍びってやつだろうか。もっとも、だからこそ、岬はドアを開けておくことができたのだろうが・・・。
廊下以上に足の長い絨毯に足を取られないように若林は歩いた。

僅かに漏れ聞こえる声に、若林はハッとする。
つい耳を済まして見れば、やはり微かにだが、声が聞こえた。


それは、知っている人物のもので・・・・、一度は聞いた事のある声音だった。

「んっ・・・・・・・・・ああっっ・・・!!」

予想はしていたものの、その声は若林の動きを止めるのに十分だった。


(・・・・・岬ッ・・・・!!)

若林は唇を噛み締め、手に汗を握った。




『僕を止めてよ。』



「はあっっ・・・・・・ああんっっ!!」



『若林くん・・・・、僕を止めてよ。』



何度も何度も、若林の頭に岬の声が木霊する。



「あっ・・・・・、やあっっ!!」


耳から入ってくる声と脳内で何度も繰り返される声と。




(岬ッ・・・・・・・・・みさき!!・・・・・・)






額に冷や汗を流して立ち尽くす若林の目の前に、灰皿に燻る煙草が目に入った。

























ジリリリリリリリリ――――――――――ッッッ!!!!






けたたましいベル音がホテル内に響いた。

一体何事かと、岬の上にいた人物が顔を上げる。
遠くザワザワと人のざわめきが部屋に届いた。と、ともに誰かが叫ぶ「火事だ――――っっ!!」の声も入ってくる。

「な・・・・・!」

上の人物がそう声を出した瞬間、頭上が暗くなり、今まで己の上で揺すっていた身体が覆いかぶさってきた。

「うわっ!」

思わず岬は呻いたが、すぐに重く圧し掛かった体が消えた。

「・・・・・え?」




「岬っ・・・・・行くぞ!!」


ギュッと握られた腕には熱い体温が流れてきた。


「わ・・・。」

若林くん、そう名前を呼ぶ前に腕を引かれ、立ち上げられる。
そのまま、部屋から引っぱり出されそうになるのを慌てて引き止める。

「待って・・・!若林くんっ。火事なら、この人、置いていけないっ!」

振り返りながら叫ぶ岬に、若林は苦い顔をして、大丈夫だと、言う。

「このホテル、結構設備が整っているらしく、すでにスプリンクラーが作動している。このおっさんは大丈夫だ。気にくわねぇが、殺すつもりはねぇよ。」


いつにない男に対する乱暴な言葉の若林に内に秘めた怒りを感じた。
怒っているのだ。
若林は怒っているのだ。
岬が、若林を信じることができなくて試すようなことを言ったことを。
挑発して、自分を助けてもらうように仕向けたことを。



岬は引っ張られるまま、ギュッと目を瞑った。

すぐにリビングに出たところで、バスロープを被せられ、そのまま廊下へと引っ張られた。
ドアを開け、キョロキョロする若林から、「おい」と声を掛けられると、またそのまま手を引っ張られた。


「どこに行くの!!」
「とりあえず、騒ぎに紛れてこのホテルを出る。小火とはいえ、警報機も鳴っているんだ。今なら、大勢の客に紛れてホテルから出られるはずだ。」




後はただただ若林に引かれるままに非常階段から他の客に紛れてホテルを出た。





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エロなしです。期待された方、ごめんなさい。m(__)m

2006.06.16.