ー20ー




キッと音を立てて車が止まった。
そのまま車を駐車場に入れ、ライトを消すと、真夜中とあって辺りは真っ暗になった。外套は遠く離れた位置に一つポツンとあるだけで意味を成していない。
道中、岬はウトウトしていたが、車が止まった様子に目を覚ました。若林もそれに気づいたらしく、そっと廻していた腕を外してさらっと髪を撫でる。

「着いたぞ・・・。」
「・・・・うん。・・・・・ここ、何処?」
「俺が元々取っていた宿だ。さっきのホテルから大分離れているし、田舎で管理人もうるさくないから、大丈夫だろう?」
「・・・・・・・ぅん。」

ゆっくりとだが、岬が身体を起こしたのを確認すると、若林はそのまま車を降り、さっさと歩き出した。
岬もそのまま一緒に車を降りようとして、若林に止められた。

「ちょっと待ってろ。」

そう言い、車の周りをぐるりと回り、岬の側のドアを開ける。
若林が車から降りた瞬間、置いて行かれる不安があったのか、岬の顔が歪んでいた。
それがわかったのか、若林が笑い出した。

「大丈夫か?」

気が付けば手を差し伸べられていた。恥しくなって、ぷい、と岬は顔を背けた。

「ホラ。」

岬を見つめる若林の表情は、穏やかだった。問題のホテルから離れた安心感からか、先ほどの小火騒ぎに乗じて岬をホテルから連れ出した時とはまるで別人のように落ち着いている。
どうして、そんな顔ができるのだろう、と岬は一度は背けた顔を戻してぼんやりと若林を見つめた。そうしたら、若林は苦笑して、もう一度手を差し出した。

「岬・・・・。ともかく車から降りて、部屋に上がろう。そして、ゆっくりとシャワーでも浴びろ。」


そう言えばと足元を見つめた。
裸足のまま、ホテルから出てきたのだ。着ているものだって、バスロープを羽織ったままで、気候的には丁度良かったがそういう問題ではないだろう。
それに・・・。


疲れた。

とても疲れた、と岬は思った。

いつもの、客を取った後の倦怠感なんか問題にならないほどに疲れた。
それは緊張という精神的な疲労からくるものだろうとは頭ではわかったが、やはり疲れたものは疲れた。
若林の言うとおりゆっくりとシャワーでも浴びて、ぐっすり寝たかった。

しかし・・・。

連絡があるはずだ。小火騒ぎは岬の失態ではないとはいえ、仕事を松任できなかったのだ。岬の荷物もそのままだ。
組織が管理するホテルということで、世間で騒がれる問題は起きないにしても、このままゆっくりと朝を迎えていいはずが無い。
そう思い出したら急に身体が震えだした。
一気に岬の体温が下がる。

岬の変化を瞬時に察知したのか、穏やかだった若林の表情も硬くなった。


「若林くん・・・・・。帰るよ・・・。だから、車をもう一度、・・。」
「帰るって家にか?もうこんな時間だ。」

半ば怒るようにして答える若林に、岬に改めて緊張が走る。



そうだ。
このままではいけない。
ましてや、若林と一緒にいることがばれたら若林にも組織の手が伸びるだろう。そうなってはいけない。
それでなくても、若林は客としてホテル側に名前がばれているのだ。それだけでも充分に怪しまれるのは避けられない。


元々、こうなった原因を作る言動をしておきながら、今更ながらに岬は己の浅はかさに爪を噛んだ。


仕方が無いじゃないか。
本当に若林くんが来るとは思わなかったのだから。


そう言い訳がつくことではない。



「ともかく、ここから車を出して!」
「ダメだ!」
「じゃあ、歩いて帰るよ!!」

岬は若林を押しのけて車から出ようとした。
すり抜けようとした岬の腕を若林が掴まえる。

「離して!」
「離したら、帰るんだろう?家に・・。」
「そうだよ?」
「ダメだ!!」
「どうしてっ!」

ギュッと握る若林に手に力が入る。痛さに岬は顔を顰めた。

「今、お前を帰すわけにはいなかい・・・。」
「どうして!」
「みさきっ・・・。」
「どうしてだよっ!」

若林は岬以上に苦しい顔をする。

「わかったから・・・!若林くんっ、・・・・もうわかったからっっ!!」


岬は掴まれた腕を振り回して若林の拘束を外そうとした。
これ以上、若林と一緒にいてはダメだと、頭の中で警鐘がなる。
ここにいては、ダメだ。
なんとかして若林から離れなければ・・・。




しかし、若林も岬を離そうとはしない。
若林からすれば、この手を離したら岬はこのまま遠く届かない所へ行ってしまうような気がした。

なんとかして岬が車から降りようとするのを、もう片方の手で押さえ、そのまま倒れこんでしまった。

グッ

咄嗟に受身を取る事もできずに、サイドブレーキに体をぶつける。

そのまま岬は動く事ができなくなった。
若林は慌てて岬を覗く。

「大丈夫か!」

暫くは何も言わず、少しも動かず。
岬にケガを追わせたと若林はうろたえるが、気が付けば岬は俯いたまま、ポツリポツリと言葉を漏らした。


「どうしてだよ・・・。どうして、そんなに僕のことを気に掛けるのさ・・・。」
「みさき・・・。」
「僕のことなんて、気にせず、翼くんと・・・・、みんなと一緒にただサッカーをしていればいいのに・・・。僕はもう十分にサッカーをしたから、いつ止めたっていいんだ。僕は・・・、もうサッカーをしなくても、生きていける術を見つけたから・・・だから・・・。」

気が付けば、若林の膝に雫が落ちていた。
それが、岬の目が零れているものと理解するのに若林には、そう時間が掛からなかった。

「こんなのが好いわけないだろう・・・」
「・・・・・・。」
「それに・・・。お前も・・・、一緒に・・・。一緒にサッカーをして、翼だけでなく、岬も一緒に戦う仲間だろう。一緒にサッカーでワールドカップを目指して戦うんだろう?まだ十分にサッカーをしていない。まだまだ足りないはずだ。」
「わかばやし・・・くん。」

ゆっくりと岬は顔を上げた。
若林はその頬を濡らしているものをそっと指先で拭う。

「いらないよ・・・・。義憤はいらない・・・。君はただ怒っているだけだ、僕に。サッカー選手の裏でこんなことをしている僕に怒っているだけだ。」
「そうじゃないだろう?」

両手で岬の顔を覆う。

「義憤だったら、お前を張り倒してやる。こんな風な気持ちにはならない・・・。」


若林は、そう呟くと岬の顔を覆った。


「・・・・・っ!」

岬は、唇が温かいものに塞がれて、目を大きく見開く。
しかし、抵抗しなかったのをいいことに若林は更に唇を深く重ねた。

驚愕のあまり反応を返せない岬に、若林は一度離した唇を再度重ねようとしたその時。


ドンッ!!


大きく体を撥ね付けて、岬は肩で息をした。そのままグイッと手の甲で唇を拭う。


「き・・・・・君はどうかしているよっ!!」
「どうして・・・岬。」
「キスなんてっ・・・・こんなことをするなんて、おかしいんじゃないの!?」
「どうしてそんなことを言うんだ?」
「欲を満たしたいだけなら、そう言えばいいじゃないか!」
「そうじゃない・・・。そうじゃない、岬。どうしてわからないんだ?」


今度は若林の方が「どうして?」を繰り返す。
しかし伝えていないことを理解してもらうことはできるはずもない。
況してや今この瞬間に自覚したばかりの気持ちを・・・・。





本当は。

本当は嫌だった。
ただの嫌悪だけではなく。義憤だけではなく。
岬が何処の誰ともわからない者たちに犯されるのが許せなかった。


誰も岬に触れるな。
岬に触れていいのは、俺だけだ。


そう叫びたかった。



だから・・・。
実際に大火事になったら大事なのに。衝動的とはいえ、それなりに小火で収まることを計算はしていたのだが。
本当は、岬を苦しめているホテルごと燃やしたかった。全てを焼き尽くしたかった。


例え、この気持ちがあの合宿の後から芽生えたものだったとしても。
今、この瞬間に自覚したものだとしても。
最初は嫌悪しかなかったはずの岬への今の気持ちは本当だ。
嘘偽りのない岬に対する愛情。
義憤なんかであるものか。
ただの嫉妬と言われても構わない。


岬の肌蹴たバスロープの隙間から白い肌が覗いていた。


「帰さない・・・・。みさき。」






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次回こそは・・・?

2006.06.30.