ー21ー




「帰さない・・・・、みさき。」

そう呟くと若林は岬にそのまま覆い被さった。と、同時にシートを倒す。

ガクンッ

と勢いよく倒れ、再度岬は体を打ち付けるが、今度は若林は岬を心配をすることもなく、岬をシートに押さえつけた。

「このまま帰ったら、お前、きっと今までと同じことを繰り返すだけだろう?そんなのは許さない・・・。」

今まで見た事も無い険しい眼差しに、岬は声を上げることも儘ならなかった。
こんな若林は試合ででも見たことがない。
まるで瞳に炎を宿しているようだ。

岬は、打った体を摩る事も出来ずただただ若林を見つめることしかできない。
先とは違う震えが岬の身体に伝わる。
竦み上がる岬に気づかずに若林は、掴んだ腕を外す事もしない。



若林からすれば、ただただ岬をあの忌まわしい街へと帰したくないのだ。
できればこのまま自分の住む海辺から近い町へと連れて行きたい。
それとも、このまま日本にでも行ってしまおうか。
いっその事、今は使われていない別荘へでも行ってしまおうか。
誰にも見つからずに、誰にも気づかれずに過せば、組織も岬のことを忘れるんじゃないだろうか?
組織からすれば、岬はただのサッカー選手の一人だ。さして岬一人消えたところで、困る事はないはずだ。
そうすれば、岬は二度とこのようなしたくもない行為をすることはないだろう。
それまでずっと、岬と二人で誰にも会わずに過す事もできる。
現実味のあるような、それでいてどこか空絵事のような、相反した意味合いに頭が染められていく。
そして、どこか甘美な匂いを漂わせた生活。甘い染みが頭の中を広がっていく。

若林の腕に力が篭る。



とにかく岬をこのままどこかへ連れて行きたい衝動に突き動かされた。



若林の腕から力が抜けた。


「わ・・・・・かばやし・・・・くん?」


先ほどの鬼か悪魔が乗り移ったのではないかと思われるほどの、形相は消え、静かになった。

「・・・・・一体・・・・・?」

と思ったら、今度は、いきなり、外したばかりのシートベルトを岬に嵌める。

「どうしたのさ!」

岬に返答もせず、手順を戻すように若林は運転席に戻った。
まるで能面のように無表情の若林に、岬は困惑するのみだった。

ハンドルを握り直すと、キーを廻した。
岬からすれば、なんとかして自分の家へと岐路を向けてもらいたい。

「・・・・帰して・・・・くれるの?・・・・・」

恐る恐る聞く岬に若林は無言のままだった。

「ねぇ・・・・・若林くん・・・。」

エンジンをかけ、車を出す。が、様子からして、今来た道を引き返すでもなさそうだった。
岬は不安が募り、何度も若林の名前を呼ぶ。しかし、若林は無言を貫くばかりだ。
業を煮やして、岬は、勇気を出して若林のハンドルを持つ手を上から押さえた。
かなりのスピードが出ていたので、横から急にハンドルを操れば事故はま逃れないため、それは軽くされたものだったが、若林からすれば「何故、邪魔をする?」と言わんばかりに岬を睨みつける。
様子がわからないまでも、すでに落ち着いたかと思われた若林は、しかし、それは岬の勝手な解釈だった。
何も落ち着いていない。
それどころか、反って、恐ろしいまでの静かな怒りとそれに伴う欲が若林の瞳から覗き見えた。



暴走を始めた若林を止める術を岬は、知らなかった。
ただただ若林の思うようにしか岬は動けないのだろうか。
自分の意思は誰にも受け止めれらないのだろうか。
それは、今まで組織で扱われたのと同じように岬は感じて。







ボロボロと涙が零れた。
どうしたら若林を止められるのかわからない岬はただただ泣くしかなった。


今まで常にクールに行動していた岬が、涙を流している。
なんとかして若林を止めようとしていたのが、急に大人しくなり、只管俯いて泣くばかりの岬に若林の頭は漸く冷め始めた。

アクセルを踏む足を少しずつ外す。
ゆっくりとスピードを緩め、車を路肩に止める。暫くして、エンジンも切った。
それでも岬は顔を上げない。
若林は、今更ながらに自分の行動が岬を苦しめているだけだと、改めて認識した。



伝えなければ、己の気持ちを。行動だけでは、岬に何もわかってもらえない。
まずは自分の思いを伝えて、岬に知ってもらい、受け入れてもらわなければ。
そうして、一緒に考えよう、最善の方法を。


俯く岬の頭を抱きしめる。

それは、先ほどの力づくのものではなくて。


そっと、包み込むような暖かい抱擁だった。


「すまん・・・・。」
「・・・・・・。」
「すまない・・・・。岬。」
「・・・・・・。」
「岬・・・・、みさき・・・。・・・・・・・みさき・・・・・。」

何度も何度も若林は岬の名前を呼んだ。
そのまま岬の髪に口付ける。噛むように岬の髪を愛撫する。


岬の涙もなんとか収まったのか、顔を上げた。しかし、涙の痕が恥かしいのか、ほんのちょっとだけだが。
涙で濡れた瞳に下から見つめられ、若林は罪悪感に苛まれる。
嫉妬の炎に焦がした思いが消えたわけではないが、岬の嫌がることはしたくない、と若林は思った。

ゆっくりと岬の髪を梳いて、今度は逆に岬を落ち着かせる。
じっと見つめる岬の瞳に吸い寄せられて若林はゆっくりと岬に口付けた。

ちゅっ

と軽く音を立てて唇を離す。
今度は、嫌がる素振りを見せない岬にほんの少しだが自分の思いが伝わっている事を若林は感じた。
もう一度キスを落とし、そのまま項へと唇を下ろしていく。

んっ

と軽く声を立てる岬に若林は、訴える。

「みさき・・・・・。岬、・・・・・一緒に行こう?」
「どこへ・・・。」

暴走していた思いの中に浮かんだ場所が今度は頭の中に浮かばない。一体どうしたかったというのだろうか。

「・・・・・わからない・・・。」
「・・わからないって・・・・じゃあ、何処へ向けて車を走らせようとしたの?僕を帰してくれようとしたわけじゃないの?」

なんとなくわかっているような声音で、それでも気が付かないとでもいうセリフで岬は若林を責めた。


「すまん・・・・・。本当は。」
「何処へ行くの?」
「・・・・・誰にも知られないところへ。」

バツが悪いのか、若林の声は小さい。
辺りがシーンと静まり返っていなかったら聞き取れないほどの声量だ。
回りは闇が広がるばかりで、鳥の声さえ聞こえない。
暗闇へと続く道路には、1台の車も通らない。それは、若林にも岬にも都合が良かったのだが。
まるで世の中は二人きりだと言わんばかりの世界。

「バカだなぁ・・・・。そんなところ、何処にもないよ。」
「・・・・・。」
「何処にいても、組織にはわかってしまうよ。この国から出ることもできないよ。パスポートも管理されているからね。」
「だったら・・・。」
「何?」
「俺がここにいるよ、岬の傍に。」
「ダメだよ・・・。君に迷惑は掛けられない。」
「一緒に落ちようっていったの、お前だぞ!」

改めて睨みつける若林の瞳は、しかし優しいものだった。

「ごめん・・・・・。取り消して欲しい、その言葉。・・・君を巻き込ませたくない・・・。こんなことになるとは思わなかったんだ。」
「そんなことを言うな。俺はお前と一緒にいたい。」
「でも・・・。」
「それが、どんな結果になろうとも。」
「・・・・。」
「本当は、もっと組織に抵抗する力をつけてからって思っていたが、もうダメだ。最初の頃は、確かにお前を仲間として助けたかった。・・・・。しかし、今は、・・・・・俺は、ただ単にお前を一人のサッカーの仲間としてではなく、一人の大事な思い人として、あんなことをして欲しくないと思っているんだ。」
「若林くん・・・。」
「俺に・・・。」
「・・・・。」
「俺にだけ、お前を触れさせて欲しい。」
「ダメだよ・・・。」
「言ったろ。それがどんな結果になろうとも。」
「若林くん。」
「もう、今日からお前に触れることが許されるのは俺だけだ。」





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いつも期待を裏切る私・・・。ごめんなさい。

2006.07.09.