過去と今と未来と3−25




まだ朝日が空に明かりを与える前の早朝。

ガチャリと店の鍵が開けられる音が静かな街に小さく響く。
扉を開けて冷たい空気を深呼吸で吸い込む老人の前に、コツリと靴音が届いた。

「お前さん・・・!!」
「仕入れにしちゃあ、いつもより早いんじゃねぇか?」

ニヤリと笑うその男は、昨日までこの店でバイトとして働いていた男だった。

「お前さんは、昨日で終わりだったはずじゃ・・・。何でここにおるんじゃ?」

皺を深くして見つめる老マスターに、目の前の男は先ほど老マスターがしたように深呼吸をした。

「気持ちのいい朝だな。」
「ごまかすんじゃない。」
「いやさ。俺、ちょっとやり忘れた仕事があって・・・。」

笑顔で応える男に老マスターは更に皺を深くする。

「そんなもん、無いじゃろうが・・・。賃金もはずんだし・・・。もう、ここには来るなといったはずじゃ!」
「じゃあ、取引先の方へ直接行った方が良かったか?」
「・・・・・・・・。小僧・・・・・・サンジじゃったな・・・・。お前さん、もう出航じゃなかったのか?」

漸く名前で呼んでくれたと笑いながら名前を呼ばれた男、サンジは「まぁね。」と答えた。

「じゃったら、ここにおっちゃいかんじゃろうが!さっさと船に戻るんじゃ!!」
「いやだね。」

コツンと靴の爪先で地面を叩く。

「昨日、言っただろう?納得できねぇって。じぃさんはじぃさんの気の済むようにすればいい。俺は俺の気の済むように動くから、じぃさんは気にするなよ・・・。」
「どうするつもりじゃ!お前さんも海賊じゃろうが、相手は海賊の中でも卑怯極まりないヤツらじゃ!それをお前さん一人でどうにかするつもりか?お前さん一人では相手にならんぞ!仲間には内緒にしてるんじゃろうが。」
「そういうじぃさんこそ。海賊相手に戦うにしちゃあ、じぃさんの組織はそうでかいようには見えないが・・・・?」
「組織の連中にはまだ何も言っとらんよ。」
「え?」

サンジが今回のことを仲間には何一つ告げていないのは老マスターも知っていた。
反対に、老マスターが自分の組織の仲間に狙う相手が見つかったことを伝えていないのはサンジには意外だった。
が、だからと言って詳しい事情を聞くつもりもない。
ならば今、マゴット海賊団相手に闘おうとしているのは、この老マスター以外にはサンジしかいないということになる。いや、サンジがいなかったら一人で戦うつもりだったのか。

「ただでさえ大した組織じゃねぇのに・・・さらに何も言ってないんじゃ、じぃさんの方が無謀じゃねぇか・・・・。」

サンジがため息を吐いた。それを横目で見て、老マスターは自嘲するように笑った。

「組織の連中もまたマゴット海賊団の被害者達なんじゃよ。彼らもまた、儂と同じでマゴット海賊団に復讐しようと組織を立ち上げたんじゃが、彼らは儂と違って、マゴット海賊団に殺された以外にも家族がおるんじゃ・・・。じゃから、儂が一人で奴らに向かうつもりじゃ。」

呟きながら老マスターは店の鍵を外から掛けた。

「儂はこのまま奴らのアジトへ向かうつもりじゃ・・・。お前さんは、・・・・・・・止めても無駄のようじゃな。」

サンジを見上げて、今度は老マスターの方がため息を吐いた。

「さっきも言ったろ。俺の気の済むように動くって・・・。」
「いいのか、船が出ちまうんじゃないかのぉ?」
「そんな冷たい連中じゃねぇよ。俺が戻るのを待っててくれるさ、トイレ掃除の罰をつけてさ・・・。」
「そりゃあ厳しいの・・。」

もはや老マスターは諦めたのか、勝手にしろ、と告げる。そういって、漸く二人して笑った。



向かう足取りは重いが会話は軽かった。
暫くすると、サンジから聞くつもりはなかった話を老マスターは誰かに聞いてもらいたかったのか、突然、ポツリポツリと言葉を紡ぎだした。

「もう20年以上の昔のことじゃろうか・・・。儂はとある病院の研究部門にいたんじゃ・・・。そこで、さまざまな薬を開発しておったんじゃがの・・・・・、ひょんなことから偶然にあの『クスリ』の元になるもんができてのぉ・・・。麻酔とか睡眠薬として使えたんじゃが、同時に患部の痛みを麻痺させるというよりも痛みそのものも取れての。儂はこれで病人の苦痛を和らげてやれると喜んじゃもんじゃ・・・。」

懐かしさからか顔が綻んだ。釣られてサンジも顔が笑みになるが、話にはただ耳を傾けるしかない。

「しかし、薬品として出回ることもなく、この海域で暴れまわっておったマゴット海賊団に目をつけられたんじゃ・・・。知っておる通り、あの薬の作用に奴らは目をつけての。『麻薬』として売れるってことで、この海域に瞬く間に広がったよ。」

サンジは頷いて話を促した。

「『薬』は開発したのは良かったんじゃが、まだまだ未完成での。副作用があったんじゃ。下手に何回か使うとすぐに中毒症状が出て死へと繋がってしまったんじゃ。これじゃいかんと、改良を続けたんじゃが、本来の『薬』として完成する前に『麻薬』としての『クスリ』となってしまったんじゃ・・・。今、儂が扱っているものも本来は完成品じゃないんじゃ・・・・。今だ、本当の意味での『薬』としては完成してないんじゃよ。」

サンジは眉間に皺を寄せた。

「薬品としての開発は止めちまったのか?倉庫で見たのも、どう見ても薬品になるようなものじゃなかった。」
「薬品として開発するよりも、解毒剤を作るのが先になっちまったんじゃよ。そして、新たな『クスリ』を開発するのが先じゃった。あのマゴット海賊団を誘き寄せるのに・・・。」
「誘き寄せるって・・・・・・。ただじぃさんの開発した『薬』が悪用されたにしちゃあ、その海賊に対して只ならぬ恨みがあるように思えるが・・・。何かあったのか?」
「当時、儂の開発した『薬』をさらに強力な麻薬として完成させるために儂の娘を誘拐したんじゃ・・・。娘を人質にされて、儂は奴らの言いなりになるしかなかったんじゃ・・・。そして、お前さんも知ってる通り、幾つかの色んなタイプの『クスリ』を作ったんじゃ。奴らが使いやすいようにの。奴らは商売繁盛ってな感じで、ご機嫌じゃったよ。」
「・・・・・・。」

老マスターに娘がいたのは初耳だった。

「儂は、奴らの望む『クスリ』を開発したからのぉ・・・・。無事、娘を返してもらえるとばかり思っとったんじゃ。じゃが、甘かったんじゃ・・・。奴らの手に予って、娘は『クスリ』で廃人同様になってしまっての・・・死んじまったんじゃよ・・・・・・。大事な一人娘だったんじゃ・・・、妻もことの真実を知ってしまってショックだったんじゃろう、後を追うように病に倒れ、死んじまったよ。」

家族がいたそぶりも様子も彼の店からは何も伺えなかった。
娘の死因が自分の開発した『クスリ』ならば、誰にも話せなるものではない。写真さえ店には置いてなかったのは、だからなのだろうか。

「他にも今、組織の仲間として動いている連中もみな同様にマゴット海賊団に騙されて、クスリ漬けになってしまった連中の家族がほとんどじゃ。彼らが儂をも怨んで当然じゃろうが、彼らは娘を亡くしたと知って、『クスリ』を開発した儂を許してくれた。今は、同志で奴らに復讐を晴らさんとばかりに儂と一緒に、動いてるんじゃ。」

淡々と話す老マスターにサンジや「ちょっと待ってくれ。」と言葉を割る。

「しかし、おかしくないか?マゴット海賊団に恨みを晴らそうとしてるのに、奴らと同じように『クスリ』を作って売っている。矛盾してるじゃねぇか。仲間もよく認めたもんだな・・・。」

サンジは昨日のマリアを思い出した。
喚き叫び苦しむしかない彼女を目の当たりにして、どうしてこの男は平気でいられるのか。
大事な一人娘を自分の作った『クスリ』で亡くし、その為に妻も病に倒れて亡くなったという。それだけ、悲しい出来事があってもなお『クスリ』を作るのをこの男は止めないのか。
サンジを見上げて老マスターは軽く笑った。そのまま、サンジの質問には答えずに自分の話しを続けた。

「娘と妻を失った当時、儂はの、海軍に情報を流したんじゃ。当然、海軍が動いてマゴット海賊団は一旦は崩壊したんじゃ。同時に通報したとはいえ、儂も『クスリ』を作った張本人じゃから牢に入れられたんじゃが・・・・・。じゃが・・・・肝心の船長のマゴットは捕まらずじまいじゃった・・・。儂は牢から出てからそれを知ったんじゃ。奴は、今も生き延びて、再び私利私欲を貪ろうとしている情報を得ての・・・。」

口元に浮かんでいた笑みは自嘲なのだろうか。

「『クスリ』はヤツを誘き寄せる為のエサじゃ・・・。儂は、マゴットに復讐できるんじゃったら再び『クスリ』を作るのは躊躇わんよ。しかも、改良して今度はもっと質のいいのができたんじゃ。ヤツが飛びつかんはずがない。」
「そして、昨日の話の通りじゃ。上手い具合に奴らは儂らの予想通り、『クスリ』に飛びついてきたでのぉ・・・。あのイーゼルの話では、鴨になりそうな者を騙して儂らから『クスリ』を手に入れようとしているのはわかった。が、その方法にも限界があるはずじゃ。多分、『クスリ』を見れば、儂がこのことに関わっているのもわかってるはずじゃ。今後、奴らがどういった方法で接触をしてくるかはわからんが、前回のことがあるからか、直接接触するつもりはないらしいからの・・・。じゃったら儂の方から出向くまでじゃ・・。」
「イーゼルが奴らと接触した建物から考えるに、奴らのアジトは昔と変わってないと思っていいじゃろう・・。儂はそこへ行くつもりじゃよ。」

老マスターの向く先は迷いがなかった。きっと老マスターの知っている昔のアジトへ向かっているのだろう。それは確かに昨日、イーゼルをつけて辿った道だった。
年寄りとは思えない足取りで老マスターは歩く。
サンジは並んで歩いていた歩みを一旦止めた。

「どうしたんじゃ?」

老マスターが怪訝な顔をする。

「じぃさんが、昔『クスリ』を開発したのがわかった。マゴット海賊団をどれだけ恨んでいるのか、どれだけ復讐したかったのかもわかった。その為にまた『クスリ』を作ってマゴット海賊団を誘き寄せようとしたのもわかった。でも、やっぱわからねぇ。」
「なんじゃ・・・。」

サンジと正面立ち、老マスターはサンジを見つめる。
日はすっかりと昇り、人々が目覚め始める時間帯になったようだが、幸いにも誰も通りには出てきていない。もっとも元々普段から人通りの少ない道だからからかもしれないが、会話を考えれば、誰にも聞かせられない話だから丁度いいだろう。
朝日がサンジの頬を暖めた。本当に気持ちのいい朝だ。

「じぃさんの娘さんが亡くなった、家族を失った原因が例え海賊に脅されたとしても、あの『クスリ』が原因だったんだろう?それなのに、どうしてまた『クスリ』を作ることができたんだ?奴らを誘き寄せるエサだとしても、その『クスリ』に予ってまた犠牲者が出るのはわかってたことだろうが、あのイーゼルとマリアみたいに・・・。海賊に復讐できるのなら、他の連中はどうなってもいいってことか?じぃさんだけじゃねぇ。他の組織の連中だって同じだ。どうしてそこまで非情になれる?」

サンジは先ほど浮かんだ疑問をもう一度口にした。
サンジの言葉を聞いて老マスターは「海賊にもいろいろいるんじゃな。」とほっほっと笑った。何がおかしいのだろうか。
朝の清々しい空気の中、老マスターの笑いはあまりにもその空気にそぐわない。

「言ったじゃろう?未完成じゃと・・・。」

老マスターの言葉にサンジは眉を潜めた。

「未完成じゃからこそ、ずっと『クスリ』を作り続けてるんじゃ・・・。それは組織の同志もみな知っておることじゃ・・・。」

真っ直ぐと見つめる老マスターの瞳に曇りはなかった。
サンジは思いついたようにはっとする。

「じぃさんの最終目標は医薬品としての『薬』か?」
「そうじゃ・・・・。そして、さっきも言った通り、解毒剤の完成じゃ。昨日の娘にも悪いと思うが、解毒剤もまだまだ完成には至っておらんのじゃ・・。人体実験紛いになってしまって悪いとは思うが、結局、それが一番の早道なんじゃ・・・。それでも、マゴット海賊団を誘き寄せる為にも、被害を最小限に食い止める為にも、相手を選んで売っておったんじゃがな・・・。しかし、今更言い訳するつもりはなかったんじゃが・・・あんな優しい連中まで犠牲にしてしまったのぉ・・・。」

昨日の二人を思い出してか、大きくため息を吐いた。
彼なりに罪悪感がなかったわけでもないし、それなりに『クスリ』の売人という悪事に手を染める事に、それだけの覚悟はあったのだろう。サンジには最早何も言えなかった。
サンジは肩を大きくすぼめた。

「悪ぃ・・・。俺も海賊だもんな・・・。一般人を巻き込むのはいただけねぇが、善人ぶるつもりはねぇよ・・・。すまんな、じぃさん・・・。」

二人してまた並んで歩いた。
足取りは先ほどよりも速くなった。

「さっき、組織の連中にも黙って出てきたって言ってたが、本当にいいのか?」
「あぁ、儂も年じゃし・・・。もしもの場合のこともちゃんと考えて決めてあるからの。『薬』の開発も後を頼める研究仲間もいるし、データも渡しておる。問題ないじゃろう・・・。」
「もしもの場合って・・・・・。じぃさん、死ぬ気か?」
「別に死のうと思っとるわけじゃない。もしも、じゃ・・・。」

ほっほっと笑うその顔は確かに今、ただの散歩に出かけているようにも見えた。
サンジとしては、もしかして老マスターは一気に片をつけるべく動くかと読んでいたがそうではないのか?
下手をすれば死との隣り合わせの戦いになるだろうと踏んでいたのだが、それは違ったのだろうか。

「ってことは、今日はまだ相手を探るだけか?」
「そう見えるかの?」
「見るからに武器も持っていないんだろうが。力もないじぃさんが、武器も持ってねぇってことは、そういうことじゃねぇの?」

サンジが問うと老マスターはサンジを見上げた。

「お前さん、出航を待たせとる仲間がいるんじゃろうが?・・・だったら、早々にケリをつけにゃあかんじゃろうが?」

ニヤリと笑う老マスターにサンジは息を詰めた。
どこまでこの老マスターは考えているのだろうか。

「まだ相手が解っただけで、詳しい情報も何もねぇじゃないか・・・。」
「だが、わかってることはあるんじゃよ・・・。奴らは儂の持っている『クスリ』を欲しがっているってことじゃ・・・。これは当初の読みからは外れておらんと踏んどるよ?」
「そりゃあ、イーゼルの話から察するにそうだろうけど・・・・。」
「お前さんの見せた倉庫の『クスリ』。あれはほんの一部じゃよ。」
「・・・?」
「じゃから、奴らには大量の『クスリ』の居場所へ案内させるんじゃよ。」

先ほどからよく笑う老マスターの顔になにやら清々しさを感じられるのは、美しい朝焼けの所為だけではなかった。すでに何もかも覚悟ができているとサンジが感じたのは、悪行に手を染めたことだけではなかった。

「もしかして・・・・・!!しかし、そうそういきなり海賊がじぃさんの口車に乗るのか?」
「脅されてたとはいえ、奴らと一緒に『クスリ』を作っていたんじゃ。お互い相手のことはわかるかはずじゃよ。そこをつくんじゃ。」



やはりこの老マスターは一日で全てに片をつけようとしているのだろう。
後にも先にもチャンスは一回と踏んでの作戦らしい。
サンジは見えないはずの、メリー号が隠れている岩場に視線を流した。






HOME    BACK           10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24  NEXT  




2008.05.10.




またゾロが出てこず・・・。すみません。