ー24ー




空上空はまだ暗闇を引きずっているが、遥か遠い山々の稜線に沿って白い線が見え始めていた。
車の周りは何も無い田舎の一本道だったが、少し離れた位置には、森というには大袈裟だが木が軒並み遠近感を伴って立ち並んでいた。
その木々の間から、起き出したのか、鳥のさえずりが耳に届いてきた。白い光に向かって飛び立つ羽音も小さな姿と同時に聞こえた。

あぁ、もうすぐ夜明けか・・・。


周りの景色も夜の闇が消えてから気が付いたことなのだが、声に出すことなく若林が喉の奥で呟くと、隣でゴソッと衣擦れする音が耳に入った。
視線をそこに寄越すが、その前からずっと若林は鈍い茶色の頭を撫でていた。最初は岬が落ち着くようと始めた行為だったが、いつの間にか、その髪の柔らかい手触りに若林は撫でる手を止められなくなっていた。髪のさらさらと流れる感触とともに、気持ちよく自分の中で広がっていく岬への愛おしさ。

無理をしたつもりは無いが、そもそも今夜、いや夕べというのだろうが、いろいろあったのも確かで、岬はあの後、意識を飛ばすようにして眠りについた。行為そのものもだが、一連の出来事に相当疲れたのだろう。昼間の若林との再会だって岬にとってはかなり緊張を要したものであったはずだ。
興奮冷めやらないらしい若林だけが取り残されたように、眠りにつくことが出来なかった。岬同様に若林も相当に疲れているはずなのに眠れなかった。最も場所も状況も考えれば、寝てしまうこと自体まずいのだろうが。
このまま朝を迎え、そしてやはり先ほどまで考えていた。
このまま岬と共にありたいと思う事が本音だが、岬の言う事が正しいのだろう。
きっと二人してサッカー界、そして世間から消えたところで物事が解決するわけではないだろう。
が、とりあえず、今は岬を手に入れることが出来たと言っても過言ではないはずだ。
以前のように、そのままプツリと音信不通になることはないだろう。
岬が上手く連絡を取ってさえくれれば、若林が宣言した通り、岬を誰にも触れさせずにすむことも可能のような気が若林にはした。
何せ、岬は若林に対して全開とは云えないまでも心を開いてくれたのだ。
岬を抱く事ができたのはその証であると、若林は思っている。
全てが若林の言う通りにならないにしても、きっと若林にも、岬にもいい意味で進展するはずだ。進展して欲しい。


夏の余韻は冷めていないが、それでも冷たい空気が辺りを占めているだろう車外の様子をもう一度眺めてから、今度は車内を見回す。
外の冷える空気と対象にまだ熱気冷めやらない空気が辺りに満ちている。仕方が無いだろう。先ほどまで、その熱気を自分達は所狭しと撒き散らしていたのだ。
かなり燃えた、と思う。
バスローブから覗いている岬の太腿は今だ朱に染まっていて、油断すればまたその気になってしまいそうだ。大して何も置いていない車のため、しっかりと情交の後を拭い去れないのも仕方がないのかもしれない。
男を抱くというのは若林にとって初めてのことなのに、戸惑うことなく事が進めたのは岬のおかげといって過言ではないだろう。それだけ、そういった行為に慣れてしまった境遇に嫉妬してしまうのは自分の未熟さゆえ、岬に怒りをぶつけるわけにもいなかい。
が、それよりも何よりも男同士の情交というのは、女性を相手にしたものよりもいろいろな意味で激しさを増すのは当たり前なのか、それとも岬相手だからなのかが若林にはわからないが、これだけ相手にのめり込むほどに行為に没頭したのも若林には初めてだった。
これが、ただの通りすがりに抱いた相手だとしても忘れられなくて、もう一度、とつい相手を捜してしまうに違いないほどに岬は良かった。気持ちは収まらないが、固定客がつくのも当然だろうことが若林には理解できた。
しかし、若林の穏やかに成れない心とは裏腹に、岬の心は穏やかなのだろう。寝ているその表情に微かな笑みさえ浮かべているように見えた。つい、こちらも癒されてしまうほどの笑み。
改めて若林は岬の頬を撫でた。


ただ、ずっとこのままでいるわけにもいかず。
倒していたシートを起こし、それでも落ち着いた表情を曝して今だ眠っている岬を見てホッと一息吐くと、若林は車のキーを回した。



















結局、若林は元来た道を辿って、岬の住む街へと戻ってきた。
車を出した時には姿が見えなかった太陽も暑さを引き摺って上方へと位置していた。
すでに活動を始めている街は、仕事場へと向かうのか歩く人も多く、車も混雑の中へと向かって集まっていた。
一旦岬をこのまま帰すと決めたものの、あどけさを残す寝顔の下に曝されている格好を見ると、そうそうこのまま車から降ろすわけにはいかず、若林はどうしたものか、と頭を掻いた。

とりあえずそのまま岬の家に帰ることも出来ず、夕べ岬を乗せた駐車場へと向かった。
あそこは有難いことに人気も少なく、管理人もいない。近くの公園で遊ぶ為によく利用されているようだが、平日のまだ午前中ならば、公園も近所の人が散歩をするだけで車を利用してまで来るほどではない。
若林のようにホテルに用がある人間で公園の駐車場を利用する人間はまずいない。
次の交差点を曲がれば辿り着くということろで、サイドブレーキの向こう側から「・・うぅん・・・。」と小さな声が呻いた。
もう着くから、とチラリと視線を寄越して話しかけたら、今度ははっきりとした、それでも小さな声で「うん。」と返事があった。
それなりによく眠れたのだろう。しっかりとした口調で、「ありがとう。」と言われた。

「よく眠れたか?」
「うん。」
「それは良かった。」
「うん。」
「夕べ車に乗った公園にもうすぐ着くからな。」
「うん。」

そのまま軽い会話が交わされたが、一度岬を流し見しただけで、目を合わせなかったのは、運転しているからだけではなかった。
正直、若林には、情を交わした後で、岬とどう接していいのかわからなかった。ぶっちゃけ恥かしさ満杯だ。
それは岬も同様なのか、先ほどから、「うん」とか「ありがとう」とか、返事しか返ってこない。岬もどう話を繋げていいのか、わからないのだろう。
あの子悪魔的な表情で若林を翻弄した今までが嘘のように大人しく、素直だった。
そうこうしているうちに目的地に辿り着いた。
駐車場の看板の横をすり抜けて入ると、予想通り、他の車はほどんどいなかった。
ほんの隅に2台ほど置いてあったが、そのどちらも昨日から止まっている所と、タイヤがパンクしていたりミラーがなかったりと、車の雰囲気からして誰かが乗り捨てていったとしか思えなかった。
運良く散歩する人も犬もいなかった。

若林は掛けた時のようにゆっくりとキーを回して、エンジンを切った。
一瞬の間の静けさの後、やはりこちらは街中の所為か、遠くから喧騒が絶えなく耳に届いてきた。朝を迎えた先ほどまでいた田舎道とはあまりにも違う。
今朝は静かでいい朝だったと若林は内心苦笑するが、早朝の様子を知らない岬はただただ一人静かに町並みを窓越しに見ているだけだ。
そして。
やはり、このままそこにいるわけにはいかなくて。

「若林くん・・・。」

岬が改めて若林の名前を呼んだ。

「どうした。」

岬が目を覚ましてから始めて顔を合わせた。いや、顔だけでなく、目も合わせる。
ゴクリと唾を飲み込むほどに緊張したが、それは相手も同じようで口元が引き攣っているのが若林の目に留まった。

「若林くん・・・・。この先に、夕べ僕が行ったホテルのすぐ傍に早くから開いている店があるんだ。雑貨から服から食品から何でも揃っている、日本で言えばコンビニみたいな店だけど・・・。そこで、適当でいいから僕の服と、なんか簡単な朝食になるもの買ってきてくれない?僕、このまま帰るわけにもいかないし、若林くんもお腹空いたでしょう?財布は・・・。」
「あぁ、いい。金のことはきにしなくていいから。じゃあ、岬。ちょっとだけ待っててくれるか?」
「うん。」

用件だけ話して何事も無かった振りをするのは憚られたが、今はこの岬の格好と空腹を訴えるお腹をなんとかするのが先だと思われた。
若林は軽く手で岬を制すると、岬の指差した方向へと走り出していった。










暫くして、若林が車に戻ってくると、岬は何事か考えているのか、大人しく外を眺めていた。
若林が買い物をしている間に、岬がどこかへ行ってしまうのではないか、とか、誰かに見つかって不審がられてしまうのではないか、とか、組織に見つかってしまうのではないか、とか、様々な想像が若林の不安を呼び起こし、慌てて買い物をしてきたが、どうやら何事もなかったようでホッと息を吐いた。
バタンと音を立てて車に乗り込み、ガサリと買い物袋を岬に渡した。
ポンと投げ渡した袋の中には、ちょっと派手なピンク色が岬の目に飛び込んできた。

「・・・・・・・何?これ・・・・。」
「何って、お前のご要望の服じゃないか?」
「って・・・・、若林くん。この派手な、翼くんでも着そうにない服を僕に着れって!!」
「おいおい、それは翼に失礼だろう?あいつ、あれでも服のセンスはそう悪くないぞ。あいつだって着やしないさ。」

目の前には、ショッキングピンクとまでは言わないが、かなり濃い色のピンクのTシャツ。その胸には7色使って大きくロゴがいくつか入っている。虹色の文字はなんて書いてあるかは読むほどの意味はないだろう。逆に背中にはかわいらしい犬の絵が描いてあるが、表と裏であまりにもギャップが激しい。上手く着こなすにはかなりのセンスが必要だろうと思われうほどに、目立つシロモノである事請け合いという具合だ。
つい想像してしまったのか、吹き出しそうになるのを堪えて若林は仕舞われて押し返された袋から話の中心であるピンクの服を再度取り出す。

「どういうセンスだよ?若林くんのセンスは・・・。」

ジトッと下から見上げる眼差しに怯むことなく、「俺はごく普通さ。」と努めて平静に答える。

「普通のシャツとかなかったの?今流行っているのとか、高級なのを買って来いとか、そういうことを言った覚えはないんだけど、いくら何でもこれは〜〜〜。」

ギュッと皺の寄るピンクを握り締めて、わなわなと岬が震えている。
どうやら若林の意図は成功したらしい。
最初は、岬の言う通りにごくごく普通の白地のTシャツに正確なサイズはわからないものの若林がいつも穿いているサイズより一回り小さなジーンズを手にしたのだ。靴はさすがに置いていなかったので、車に常に置きっぱなしにしていある若林のランニング用を渡すつもりでいた。この際サイズは無視だ。
朝食用のパンとジュース、それに服一式を手にレジに向かう前に、ふ、と視界の片隅にピンクのTシャツが目に止まった。つい、岬に笑顔が浮かぶならと白地のシャツを戻し、わざとこのピンクのシャッを手にした。
目だってよくない、といえばよくないのだろうが、そんなことは今さらだ。もう逃げも隠れもしないつもりだ。
堂々と一緒にいて、堂々と組織に歯向かえばいい。そう若林は考えている。それがどういう結果を招くかまでは、考える事を頭が拒否しているが。

それでも他の替えの服も無いのでブツブツと呟きながらピンクに手を通している岬を見て、若林は自分でさえも笑みが浮かぶのが嬉しかった。
身体を繋げて心を開いてもらって。
ことの裏側を知ってから、どう接していいのかわからずに困っていた岬とこうやって軽く冗談を交わして日常を過せる日が来ればいい、と若林は思った。
若林の中にほんわりと温かい思いが広がる。

が、それはすぐに現実に引き戻された。


着替え終わった岬にやはり似合わないなと笑い出したかった若林の笑みを、岬の一言が止めさせた。

「朝食を食べたら、悪いけどここで別れよう。」
「どうして・・・。家まで送って行くぞ。」

それに困ったように岬は首を振った。

「いい・・・。多分、組織が僕を探して家の回りをウロウロしているだろうから。」

岬の言葉に、買い物時に傍を通ったホテルの様子を思い出す。
やはり小火騒ぎで済んだ様で、夕べの喧騒はまったく消え去っていた。
建物自体もそう被害がなかったようで、見た目には通常の営業をしているようだ。上を見上げれば、確かに夕べの騒ぎの名残が所々目につくが、それも小火騒ぎそのものを知らない者にとっては、何かあったのだろうか?と頭を掠める程度のものであるだろう規模のものだった。
が、それと反比例するようにどこか怪しい、しかし、一般人にはただのサラリーマン風にしか見えない人間が2〜3人いたように若林には感じられた。もっとも若林には、所謂裏家業的な人間の醸し出す空気というものがわからないが、夕べのことがあったばかりだ。不自然な行動をする人間は全て組織の者に見えてしまうからかもしれない。
岬の言う通り、岬の家にも組織の人間がいて当然だろう。
だったら尚更一人で帰すわけにはいかない、と若林は思う。すでに同じ位置にまで落ちたのだ。今更仲間はずれはないだろう。

「だったら余計、付いて行く。お前一人にしたくない。何されるかわかったもんじゃないだろうが!」

つい声を荒げてしまうのは仕方ないだろう。

「今、付いてきて危険なのは、僕より寧ろ若林くんの方だ。夕べの騒ぎだって、状況からして僕がやったとは思われないよ。大丈夫だよ。」

ニコリといつもの岬の笑顔で若林に訴える。
若林はギリリと歯噛みした。

「その代わり、必ず連絡するから・・・。君が君の家に着いた頃を見計らってきちんと電話するから。だから、今だけは僕の言う事を聞いて・・・ね。」

新たな約束を自分の方から提示する岬を拒む事が出来ず、若林はただ岬の言うことに首を縦に振るしかなかった。






その後、若林が家に着いてから岬からの電話が鳴るまでおちおちとボールに触れることすら出来なかったが。
それでも、漸く掛かってきた電話にホッとすると共に電話の最後に耳にした岬のセリフは、若林を幸福せずには居られなかった。

「大好きだよ、若林くん。」


それがいつまで続くかわからなくても、若林は、今この幸せを噛み締めた。






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気が付けば、サイト開設して・・・・●年。(滝汗)・・・でこれかよ。(爆)

2006.09.16.