膿 ー26ー
ピンポーンと軽快な音が部屋に響いて、若林は慌てて玄関へと走る。何もそんなに急ぐ必要はないのだが、心が急いてしまう。 「どうぞ。」と中から開ければ、真っ先に太陽のような笑顔が飛び込んできた。 「久しぶりだね、若林くん!」 明るい声とともに満面の笑みでポンと掌を打つ相手は、サッカーの申し子、大空翼だった。 その後に続いて、「よぉ。」と声が掛かる。 「あぁ、日向。久しぶりだな・・・。」 あの苦い思い出と化した合宿以来だった。 若林としては、岬と上手く話しが進んでいるのだから敢えて暗くなる必要も引き摺る必要もないのだが、その後の岬との一連のやり取りを知らない日向は、あの合宿のままだと思っているからか、苦虫を噛み潰した顔をしている。 もちろん、合宿後の事は誰にも言えない事なので、黙ったまま苦手なライバル程度の態度で誤魔化す。 それに続いて来たのは、予想通りというか、期待通りというか。 「こんにちは、若林くん。お邪魔するね。」 こちらもどちらかと言えば、非常に無理をしていると思える笑みを見せた。 今更何をそんなに、と言いたくなるほどに緊張しているのか。 若林は、日向とは違い、岬に対しては明るい笑顔を見せた。その様子に日向は驚いた顔をしたが敢えて何も言わなかった。 「元気か?ほら、遠慮する事ないさ。さっさと上がってくれ。」 「お邪魔します。」 「あれ・・・?三人か?あと、葵とか赤井とかは?」 もっと大勢来るかと思いきや、意外にも三人しかいなかった。 今玄関に顔を見せたのは、昔からの顔ぶれだけで、まだ最近代表に選ばれるようになたメンバーはいなかった。 「あぁ、あの二人、今、チームが下位だから、それどころじゃない!って練習三昧だ。」 同じ国でサッカーをしているからか、日向が答える。 「お前はいいのかよ、日向!」 「偶には休息も必要だ。無理な練習は体調に響くからな。」 「・・・日向のセリフとは思えないな!?」 「だろう?僕もびっくりだよ。」 翼が横から両手を挙げて驚きを隠せないと騒いでいる。 「お前ら、俺を一体何だと思ってるんだ!!」 怒鳴る日向に笑いが起きる。着いて早々緊張した空気が張り詰めるかと思いきや、和やかな空気を作り出すことができた。 何も知らない翼がいるお蔭かもしれない。と、若林は内心ホッと息をつく。 「とりあえず、上がれよ。」 そのまま三人はそれぞれに手にしている荷物を持って、室内へとゾロゾロと若林に付いていった。中に入れば、結構な広さのリビングに今度は日向の方が驚きと共に感嘆の声を溢す。 「結構広いな・・・。さすが若林だな。こんな広い家に一人きりか?もったいねぇ。」 「まぁ、今は俺一人だが、昔は見上さんもいたし、世話をしてくれる人も住み込みでいたんだ。それに、よくチームの連中が集まるんだ。これぐらい広い方が、丁度いい。」 「若林くんは、ずっとこっちにいるつもりなの?」 翼が何気に聞いてきた。 「あぁ、別にずっとドイツにいるつもりはないさ。でもまぁ、日本に帰るとしても、時々はこっちに来たいからな。この家はこのまま俺の家にしておくつもりだ。」 「さすが若林くん!家の一つや二つ、軽いもんだね!僕もどうしよっかな〜〜。早苗ちゃんには、広い家に住まわせてあげたいし〜〜〜。」 マンションではなく、一戸建ての建物ということは、借家か?それとも、長くこっちにいるつもりなのか、どちらにしろ今は若林の拠点はここになるわけだ。 翼が「このインテリア、早苗ちゃんにどうかな〜。」と考え込んでいる横で、意外にも岬が一番キョロキョロと回りを見回していた。 「どうした、岬?」 「あ・・・・・いや、別に。久しぶりだから、こんなだったかな〜〜〜〜って。前、来たのって中学生の時だろう?だから覚えてなくて。」 「こんなだったぜ?確かに、中学の時は見上さんもいたから、もうちょっと違う雰囲気があったかもしれないが、基本的には変わらないぜ?」 ごく普通だろう?と答える若林に岬はそうだね。と返す。 が、岬は一体何を探しているのかと勘繰りたくなるほどに、若林には岬が家の中を観察しているように見えた。 入ってきた時とは違う岬の行動に日向も何かを感じたのか、若林と目が遇ってしまった。 若林は何か言うべきか、と考えたが今は組織の話は出来ない。 日向はともかく、今は翼もいる。 翼は何も知らないし、日向も知っているとはいえ、岬が巻き込みたくないということで関わらないように進言していて日向もそれを承知している。その証拠に日向は若林と目があったが、それもすぐに何もなかったような顔をしたのだ。 「まぁ、座れよ。今、コーヒーを淹れるから。」 若林の言わんとすることがわかったのか、岬は素直にソファに座った。 皆の前では、あの話はすることが出来ないのはわかっていたはずだ。 まだ来たばかりだ。焦る事はない。夜にでも、皆がいないときにでも話をしよう。 とりあえず、今はここヨーロッパで頑張っている仲間の再会を祝おう。 若林は日向や翼もソファに促すと、これまた日向達が驚くほどに美味しいコーヒーを淹れた。 皆がついたのは、まだ昼前だった。 「で、日向は今から帰るのか?」 「あぁ・・・・。昼間はああは言ったが、まだまだ俺も頑張らないといけないからな。」 フッと笑うと若林や翼を睨みつける。 それは決して不快なものではなく、上の者に戦いを挑む挑戦者の目だった。 翼が日向の挑戦を受け取ったと睨み返す。 「負けないよ、日向くん。」 「あぁ、俺もだ。」 「チャンピオンズリーグで戦おう。」 「もちろんだ。それまでにレギュラーの座を奪い取るさ。」 翼と固く握手を交わした後、日向は若林と岬に向き直った。 「無理するな・・・。」 それはどちらに向けられたものかはわからなかったが、何もできないなりに、日向なりに心配はしているということだろう。日向も日本に置いて来ている家族のことがなければ、力になりたいと思っているのは、言葉にしなくても二人に伝わっていた。 そして、日向には話をしなかったが、若林と岬の間に何かしら信頼できる繋がりができたことを察したに違いない。 たった一言だが、それだけで充分だった。 翼は岬の古傷のことだと思ったらしく。 「岬くん、怪我の痕、よくないの?」 と聞いてきた。 大丈夫だよ。と笑顔を返す。 その「大丈夫」という岬の言葉は信用できないのは、若林は内心知っている。 だからこそ、自分が岬を支えていこうと決めたのだ。 若林は日向に向き直った。 「大丈夫だ。」 返す言葉もたった一言だが、それだけで日向に伝わったらしい。 フッと笑うと踵を返した。 「じゃあ、お先にな!」 最後は日向らしい笑顔でドイツを去った。 「で、翼はどうするんだ?」 「あ・・・、俺?今晩、若林くんの家に泊まっていい?折角出来た時間だもん。もっといろいろと聞きたいな、ドイツサッカーのこと・・。」 日向と向き合ったサッカー選手としての顔とはまた一味違うが、それでもやはりサッカーバカと言われても仕方がないほどの笑顔で若林を見上げる。 「奥さんはいいのかよ?」 「ちゃんと了承済み!若林くんのところだっていったら、偶にはゆっくりしておいで・・・って。」 「理解あるおくさんだな。」 「まぁね〜。」 「別に羨ましくないぞ」と謳う若林に翼がニッコリと笑う。 なんともまぁ、のんびりしたものだ。 「まぁ、うちはそれなりにみんなが宿泊しても困らない程度にはなっているから構わないが、冷蔵庫には殆ど何もないぞ。夜は外食だぞ!」 「いいねぇ〜〜〜、美味しいドイツ料理の店、連れて行ってよ。もちろん、若林くんの奢りで!!」 こんどは子どものような顔で夕食を強請る。コロコロとよく表情が変わるサッカーの天才児に若林の顔を綻んだ。 ただ一人浮かない顔をする岬を除いて話が進んで行く。翼が心配そうに声を掛けた。 「岬くん?・・・・・大丈夫、具合でも悪いの、なんか様子が変だけど。」 「あ・・・・いや、何でもない。ちょっと疲れちゃったのかな?」 翼のようにとはいかないまでも、笑顔で返事をした。 「なら、いいけど・・・。ねぇ、岬くんは、何が食べたい?って、あぁそうか、岬くんもまだ帰らないでしょう?大丈夫だよね、時間。」 「う・・・うん。僕も明日まで大丈夫。明日の午前中には、帰るけど。」 「そっか、良かった。じゃあ、明日、途中まで一緒に帰ろうか?」 方向がまったく違うわけではないが、それでも乗る列車を考えれば、一緒に帰るというのは、無理ではないか?という突っ込みは諦めて若林は言葉を交わす二人を眺めた。 あの合宿の時もこんな風なやりとりだったっけ?と思い出す。 翼の言う事にはきちんと耳を傾け、それに見合った言葉を返してはいるが、その表情は本当に翼とのやりとりを楽しんでいるようには見えなかった。 どこか、遠慮がちというか、一言一言を選んで話しているようにも思えた。サッカーをしている時には、そうは感じない違和感が拭えない。 岬は他のメンバー同様に翼を巻き込まないように会話には最新の注意をしているのだろう、と若林には思えた。 ありがたいことに翼はそんな岬の様子にただ元気がないなぁと言うだけで本当のことには気づいていないが。 翼のために考えて話をし、翼のために言葉を選んで喋る。 ごくごく普通に会話すれば何でもないことのはずなのに、必要以上に緊張をしている岬に若林はどうしようもなく切なくなった。 今すぐにでも抱きしめて、大丈夫だと言いたい。俺が付いていると伝えたい。 が、それも出来ないもどかしさに唇を噛む。 それでも誰がいるかもわからない外に出るより、ここにいる方が精神的に楽か? そう思い、翼に提案した。 「何だったらテイクアウトにして家で食うか。その方がゆっくり食事できるだろう?岬も疲れているようだし・・・。テイクアウトでも美味しいドイツ料理は食べられるぞ。酒も飲み放題といこうじゃないか!」 さり気なくそういった店の方へと話の脚を向ける。 翼は、どちらが美味しいものがありつけるのか、考えているようで、暫く腕組みをして「う〜〜〜〜ん。」と唸った。 「それに体調に響かない程度には朝まで付き合うぜ?」 グラスを傾ける仕草をして、ニヤリと笑う若林に翼はそうだね。と頷いた。 「じゃあ、俺一番風呂!!」 「何でだよ!」 はい、と手を上げる翼に若林が突っかかる。 「だって、若林くん家って風呂もかなり広いじゃない。ゆっくりお湯に浸かって汗流したいな〜vv」 満面の笑みで笑う翼に若林はお手上げだ。はいはい、と肩を落とした。 岬もそれなりに納得したようで、二人の会話に入る。 「じゃあ、その間に食事とお酒の準備、僕が手伝うよ。」 岬のお手伝い申し込みに翼がさらに喜んだ。 「やったぁ〜。岬くんって、料理上手だったよね。俺、あれが食べたいな〜〜〜。」 「あれって何だよ!」 「えっと・・・・・何だっけ?」 「何だ、そりゃあ〜〜〜!!!!それにテイクアウトって言ってなかったか?」 三人で笑いあう。岬もケラケラと笑った。 ずっとこうやって笑いあえれば、いい。 こうやって笑顔で交わす言葉が若林には嬉しかった。 |
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翼が出るとなんかほのぼのするな〜。でも・・・。
2006.09.21.