ー30ー




ドアが開いていたことにより、岬が若林の家を出たことはわかったが、どこへ行ったのかはさっぱりだった。
荷物もそのまま残っており、岬には何一つ持ち出しているものがない。財布すら持っていない。何処へ行くとも、何処にも行けないはずだ。
ならば、どこか近くで困っているかもしれない。

そう考えて、若林は家を飛び出し辺りを捜した。
翼は、慌てる若林を冷ややかに見つめるだけで何一つ手を貸そうとはしなかった。
そのかわり、帰る時間としてはやはり不似合いな時間だとわかったのか、それとも内心やはり岬の事が心配なのかそれはわからなかったが、一時は帰る素振りさえ見せたのが、とりあえず若林の家で一晩を過すことを決めたらしく黙ってリビングへと引き返した。
若林としては、先ほどの翼の言葉は許せるものではなかったが、それでも家に翼が居れば、入れ違いに岬が若林の家に戻った時に困らないだろうと、そして、やはり翼には解ってもらいたいとの思いもある。ひとまずは翼の行動に何も言わず、そのまま外へ出た。
季節柄、まだ然程寒くないはずなのに、夜風が頬に冷たく感じる。
若林の想像以上に冷えている空気に薄着のままの岬が心配された。
いや、それよりもどこかで不審な輩に絡まれていないだろうか、とそちらの心配が若林の心を占めた。本人の意思を別にしても、性を売り物にした商売をしているのだ。その匂いを嗅ぎつける到底堅気とはいえない人間が若林の住む街にもいないわけではない。
若林の家のある場所は住宅街の一角ではあるが、一本道を外せば、妖しい空間に続く通りに容易に辿り着くのだ。もちろん、翼にもだが、岬にもそれなりの説明はしているのだが、自棄になっているだろう今の彼には、そのようなことまで頭が回っているとは思えない。ましてや先ほどまで自分と情交を交わそうとしていたのだ。今だ彼に纏わり付いている空気は簡単にそのような連中を引き寄せるだろう。
そのような場所へ辿り着く前には、岬を見つけないと・・・・。

若林は冷たい夜風の中、冷や汗だろう雫を額から流した。
夜中にバタバタと大きな足音を響かせる。響く足音は静かな住宅街の中に遠くまで木霊する。近所迷惑なほどの音響を伴い、辺りをキョロキョロと伺う。流石に大声で叫ぶことは出来ないが、それでも、何かしら人影を見つけると、「みさきかっ!」と声を荒げた。
が、声を掛けられた相手が不思議そうに顔を向ける前に背格好で違いが判ると、思わず肩を落としてしまう。
不思議そうにする相手からイチャモンを付けられなかったのは、運が良かったからなのか。




ハァハァ、とさすがの若林も息が上がった時、漸く、それらしい人影を見つけた。
壁に寄り添うようにして凭れている人間に岬の着ている服の色と、その茶色い頭を覚えた。
が、それは一人ではなく、複数の人間の中に居て。
若林はカアァッと体温が一気に上昇した。

岬と思しき人物を中心にした人の輪は、そのまま壁の向こうにある細い路地へと向かおうとしている。肝心の岬らしき人物は、グループの人達に両脇を支えられてふらふらと歩いていた。
複数の人間はわりと堅のいい男達ばかりで、やはり、そういった輩に目を付けられたのは一目瞭然だった。
当たり前か。すでに若林の認識している危険ゾーンに入っている。
が、ずるずると引きづられるようにして連れて行かれる岬に抵抗の色はなく。
一瞬、自ら相手を誘ったと思われたのだが。
慌てて駆け寄る若林と目があっても、何も気が付いていないのかと思われるほどに目線は虚ろになっていた。
若林はその目を見て、岬から誘っているのではないと思われた。
当たり前だ、本来、岬はそういった行為自体が好きであるわけではないのだ。自分との情交を除いて。これは、無理矢理連れて行かれるのだろうと若林にはすぐにわかった。
理解した瞬間、抵抗もできない相手に無理矢理襲おうとしている男達に怒りが湧いた。
仕事柄、ケンカなどはご法度なのだが、頭に血が上った若林を止められる要素は何もなかった。


「待てっ!!」

声を荒げて男達の背後に立った。
「あ"ぁん?」
いかにも煩いと言わんばかりに振り返る男にいきなり拳を見舞った。

ガキィ

鈍い音を立てて振り返った一番後ろにいた男が倒れる。
その突然の出来事に一斉に全ての男達が振り返り、殺気が湧いた。

「何だ、てめぇ・・。」

一番大柄の男が厳つい肩を揺らして若林の元に歩いてくる。
殴られた男は、他の男に助け起こされたが、どうやら気を失ったようだ。
チラリと目線を流せば、岬はまだ両脇を掴まれながら壁に凭れたままだった。岬を掴まえている男は、ただただ不穏な空気を纏ってギラリとした目を若林に向けている。
岬を・・・、と若林は気が急いた。
のしのしと向かってくる大男にショルダーチャージを食らわせ、そのまま岬へとダッシュを掛けた。

「貴様、何だ一体!!」

大男は一瞬怯んだが、倒れることなく、若林の前に立ちふさがった。岬へは、まだ遠い。

「お前ら、一体岬をどうしよってんだ!!」
「ミサキ・・・?・・・ああ、こいつか?この辺をふらついていたし、悪い奴らに掴まっちゃあいけないんでな、介抱しようとしてただけだ。」

ニヤリと大男が口端を上げた。いかにも、厭らしさを隠せない笑いだ。
若林の目が釣りあがった。

「俺の知り合いだ。俺が連れて帰る。」
「お前の知り合いだと?別にこいつは何も言わないぜ?」

クイッと顎をしゃくって岬を示すが当の岬は朦朧と目を漂わせているだけだった。

「今は調子が悪いんだよ!!」

そう叫ぶなり、若林は再度大男に向かった。

「このっ!!」

若林の拳がモロに大男の顔面にヒットするや、周りにいたグループ全員が若林に向かっていった。





























ガチャリ

翼が音に振り返る。
たいして大きくない音なのに反応する自分に、翼は自嘲した。が、席を立つ事なく、リビングのソファに座ったまま窓から空を見上げていた。
深夜もさらに深まった時間帯の暗い色に染められた空からは、もはや月も確認できないほどに時が過ぎているのが解ったが、眠気は訪れなかった。

翼はギュッと拳を握った。
ずっとずっと。二人を二階の寝室で見つけてから、ずっと考えていた。
一緒に今までサッカーを続けてきた仲間としての自分達の関係を。一緒にボールを蹴って楽しんだ時間を。

若林の言うとおり、同性にしか愛情を持てない人間がいるのはわかるし、彼らを否定するつもりは翼にはなかった。
が、それがどうして、一緒に世界の頂点を目指し、一緒に夢を追い求めた仲間なのか。
仲間と言うだけではなく、ライバルでもある彼ら。
友情以上の感情を、この先も同じ世界で夢を求める仲間でもありライバルでもある者に向けることは、夢の実現の妨げになるのではないか。翼には、そう思えてならなかった。
若林が岬に向ける思い。そして、岬が若林に向ける思い。どちらもマイナス要素はあるにしてもプラス要素があるとはどうしても思えない。
それ以上に、何故。とう思いが消えなかった。

どうしてどうして、若林くんと岬くんが・・・・。

どう考え廻らせても結論の出ない疑問は、消えることはなかった。
そして、それ以上に二人には嫌悪の感情しか湧かない。



コツ

足音を忍ばせて、若林がリビングを覗いた。
その顔に翼は瞬間、喉を引く付かせる。

「どうしたんだ!若林くんっ!!」

若林が抱える岬は寝ているのかと思うほどに静かだ。が、どうやら寝ているわけではないが、呆然と何もない空間を見詰めたまま翼の声にも反応をしなかった。

「ちょっとな・・・・。」

声を潜めて答える若林の唇は腫れていて血が滲んでいる。頬にもいかにも殴られたとわかる痕があった。髪はボサボサになり泥でもついたのか、かなり汚れが目立った。額にも血が見えた。
岬を抱える腕や着ている服にさえ血や泥が付いており、いかにもケンカしたことが一目瞭然だった。

「ケンカしてきたんだね・・・。」
「まぁな・・・。」
「もしかして、・・・・・岬くんが原因?」
「・・・・・。」

岬の名前を出したら、若林の表情で推理するまでもなかった。若林の顔は隠し事が下手らしい。
岬が好からぬ人間達に絡まれてそこを助けたということは、想像するまでもなかた。よく警察沙汰にならなかったと、不思議なほどだ。
咋に翼は顔を顰めた。

「若林くんと岬くんの関係って、二人にとって何もいいことないじゃない。別れた方がいいっていう証拠だよ。」
「つばさ・・・・。」
「どうするのさ、ケンカしたことがチームにばれたら。処分に予っては、代表にだって召集されなくなるんじゃないの?」
「それは・・・・・。」

若林は腫れた瞼を細めた。翼に答えることが出来ない。

「俺、もう寝るよ。布団、借りるよ。」

返事ができないのは、わかりきっていることだ。翼は若林に背を向けると、ゴロリとソファに横になった。

「翼・・・・。今すぐにとは言わないが、お前には解って欲しい。話をしたい。」

例えメリットはなくても、それはお互いの感情を消し去る要因にはならない、と若林は思いたかった。
が、翼は若林の言葉を無視した。翼には話を逸らしたようにしか思えなかった。

若林は小さくため息を吐くと、そのまま黙って岬を抱えて二階へと向かった。力ない足音が階段を上がっていくのが翼の耳にも届いた。






一番奥の部屋のドアを開けると、ベッドの上は岬が抜け出した痕のまま冷たくなっていた。今だカーテンが揺ら揺らと揺れていた。
若林はゆっくりと岬をベッドの上に横たえると、静かに開けられたままになっていた窓を閉めた。
もう一度岬のいるベッドへと足を向ける。
上から優しく岬を抱きしめた。

「大丈夫だ、岬・・・・。俺が付いているから。翼もきっとわかってくれるから・・・。」

優しくチュッと口づけると、朦朧していた意識が戻ったかのように、岬の目が漸く若林を見た。
やっと目があったと内心ホッとする若林を認識したとたん、岬の目からボロボロと涙を溢す。
突然の様子に若林は慌てて、宥めるために髪を梳いた。

「大丈夫だから・・・・。な・・・岬。」

糸が切れたようにボロボロと溢れる涙は、この家を飛び出す前よりも酷く岬が傷ついているように若林には感じられた。

「ごめん・・・・・・。若林くん・・・・・ごめん。・・・・・・・・ごめんね。」

ただただ涙を溢しながら「ごめん」を繰り返す岬に、若林は「大丈夫」と返す事しか出来なかった。
岬は泣きつかれて寝入るまで、只管若林に謝り続けた。





結局、翼は次の日、岬と顔を合わすことなく、若林にも何も言わずに帰っていった。





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2006.10.22




無駄にずるずると・・・。(汗)