ー32ー




あれから幾日か過ぎ、岬の調子は戻ったかに見えた。
が、明らかに無理をしているところからくるものが監督の目にも判らないわけがなかった。
その為か、結局、試合に出せてもらえない日々が続いた。

唇を噛む岬にコーチが目を留める。
「何?」と口にすることなく、岬は聞く。

「いや・・・・・・。」
「試合に出られないから、お払い箱?」
「そうは言っていない。確かに今は試合に出ていないが、ベンチから外されたわけではないし。こっちでの仕事も今すぐというわけではないからな。そんなに睨むなよ・・・・。」
「彼には・・・・。若林くんには手を出して・・・。」
「もちろんさ出していないさ。監督采配でお前が試合に出られないのは、仕方が無い。お前が頑張っているのは、わかっているし、別の意味でもお前は大事な存在だからな。そう心配するな。」
「・・・・・。」
「ただ・・・・。」
「ただ・・・何だよ?」

一瞬口を閉ざしたコーチが肩を竦めて、ため息ばかりに話す。

「貴様、最近、身の回りが鬱陶しいだろう?」
「・・・?」
「チームの方にも、手紙やら電話やらがたびたびあるんだ。お前を試合に使えって・・・。」
「それが・・・。」

「どうした。」と言いかけてはっとする。

「もしかして・・・。」

岬が呟いた言葉にコーチが反応する。

「心当たりがわかったか?」
「最近、何だかやけに視線を感じると思ってたんだけど、もしかして、そのファンっていう奴かな?」
「漸く気が付いたか。素人のようだが、お前にピッタリと張り付いている人間がいるという報告が入っている。どうやら熱狂的なお前のファンらしいが、やっかいなのが出てきたな。こちらも仕事を頼めない。」

だからなのか、と岬は納得した。
試合に使われなくとも、試合とは別に例の仕事がいつもなら入ってくるはずだ。
実は、それもないことに気が付きながらもそ知らぬ顔をしてきた。元々好きでやっているわけではないので、無いに越した事はない。暫くゆっくりと身体を休められると内心喜んでいたのだ。
が、その理由を聞かされれば、無条件で喜んでばかりもいられないだろう。
電話は若林と頻繁にしているが、何処から来るのかわからない視線に動き回るのが出来なかったことを思い出す。組織の人間の監視ならもう少し違う空気を醸し出しているし、大概慣れてしまったためか、岬にはわかるようになっていた。
が、今回感じる視線は、組織と違う感触を感じていた。突き刺さるような痛い視線だった。

「それか・・・。」と岬は俯いた。

組織としてもきっといつまででもそのファンらしい人間を野放しにしておかないだろう。

「いつまでも邪魔なようなら、片付けないといけないな・・・。」

物騒なことをごく自然に口にできるのは、そういった行為がごくごく普通に行われている所為だろうか。
岬はブルリ、と身震いした。

「一般人だろう?まずいんじゃないの?そんな事したら。」
「確かに早々には手を出すわけではないが、時と場合による。あまりに煩いヤツだったら仕方ないさ。」

いかな自分に纏わり付いて迷惑なファンとはいえ、大切な命を易々と消してしまう組織の恐ろしさに岬は眉を顰めた。
俯く岬にコーチは、フンと鼻息を荒くした。

「人の心配より、まずは自分の心配をするんだな。そういった連中はやっかいだぞ。すでに妄想と現実の区別さえつかなくなっているんだ。場合によっては本当に始末しないと、お前の命さえ危ない事があるんだ。まぁ、お前一人いなくなったところで、別にこちらは困らないがな。後釜もいるし・・・。」

それは若林のことを指しているのだ、と暗に示す。
岬は口惜しそうに歯軋りするが、どうしようもない。
そのストーカー紛いのファンの始末を組織が行えば、簡単に一つの命が抹消されるだろうことも岬がどうにもできない事の一つだ。
だったら、気は進まないが、そのファンの対応も自分でしないといけないだろう。

「僕がそのファンっていうのと話をつけるよ。だから、簡単に人を殺すなよ。」
「言っただろう、時と場合による。組織に火の粉が飛ぶようなら、こちらも手を打たねばなるまい。お前がそのファンとどうしようが勝手だが、余り時間を喰うようでもこちらは動くからな。これまでも、そのファンってヤツのお陰で、キャンセルしたのが、3つはある。」

「知らなかった」と、岬は口には出来なかったが、その事実を知らなかった自分が悔しかった。
単純に仕事がないのを喜んでいたのが、そうそう喜んでばかりはいられない現実がそこにはあった。
この調子だと、そのファンという人間もすぐに始末され、すぐにまた仕事が始まり、気が付けば本業のサッカーの方でもきっと否応も無く裏の仕事をさせられるのだろう。
買春紛いの仕事は今更とはいえ、できれば本業での裏の仕事はなるべく避けたい。いや、避ける事はできないのだから、せめて少しでも先延ばしにしたかった。
それはほんの少しだが、岬のサッカーへの想いだ。

思考の渦に囚われた岬にコーチは声を荒立てて伝える。

「さっさとそのストーカーをどうにかしろよ。来週早々には仕事を1つこなしてもらうからな。」

黙って頷くしかない岬に、コーチは相変わらず厭らしい笑みを向けるだけだった。






















たぶん今日も外にいるのだろう。
どこからともなく視線を感じる。
今だ、本調子ではない事を理由に練習も早々に引き上げ、岬はバッグを手にした。
と、丁度その時、バッグに入っていた携帯から着信音が鳴り響いた。若林からの電話には着信音が変えてあるので、誰からの電話かすぐにわかった。
今の現状を説明して助けを求めることはできないが、辛い時には声を聞きたいと思っていた。
その、あまりのタイミングの良さについ苦笑してしまう。
ピッと通話ボタンを押した。

「悪ぃ。練習中かと思ったが、グランドにいないから、休んでいるのかと思ってな・・・。」
「え・・・?」

同じサッカー選手だから大体の生活リズムが予想できるとはいえ、いくらなんでもグランドにいるかいないかまでわかるはずがない。
若林の言葉が意味するのは、練習場に岬がいるかいないか知っているということだ。

「若林くん・・・?」
「あぁ、今、お前んとこの練習場に来てるんだ。」
「今?」
「あぁ・・・。」

岬は単純に驚いた。
まだリーグ半ばで、若林のチームも順調に勝ち進んでいて、上位にいるはずだ。いくら順調だからって、こんなところに来る余裕はないはずだ、と岬は訝しむ。
何かあったのだろうか・・・。
その岬の心配を空気でわかったのか、若林が笑いながら、「大した事無いけどな」と続けた。

「ちょっと足、捻ってな。捻挫ってほどではないが、無理して悪化させてもいけないし。丁度今、今年来た新人も試したいと言うんで、ちょっとだけ休暇だ。」

ちょっとだけとはいえ、新人にポジションを取られはしないか、つい心配してしまう。それも見越して若林は「大丈夫だ」と岬に伝える。

「まだまだ大丈夫だ。俺もそいつ見たけど、負ける気はしないな。監督も同じような事言ってたぜ?怪我も本当に念のためっていうぐらいのことだし。」

一旦口を止める。

「それに、お前の顔を見たかったんだ。」

若林の口調に岬への心配が読み取れた。だが、それを敢えて言葉にしない若林に岬は内心ホッとすると同時に心より感謝した。
言葉にしなくても心配してくれる気持ちが嬉しい。自分からも心配を掛けることは言えないが、ただ一緒にいるだけで安心できる。
そう思うと、同じ敷地内にいるのにいつまででも電話で話のももどかしくなった。

「ロッカーにいるんだ。ちょっと待ってて、すぐそっちに行くよ。」

電話を切りながら、手にしたバッグを肩に掛けた。
ロッカー室のドアを開けて通路に出て暫く歩く。


若林のいるという出入り口にあと少しというところで見知らぬ男が立っているのに気が付いた。目差し帽を深く被り、顔の判別は付かない。岬は一瞬若林かと思ったがどうやら違うようだ。体型がまるで違う。
細くひょろっと長い身長は高さはあるが、どう見てもスポーツをしているように見えなかった。服装も穿古したジーンズはブランド物というよりも薄汚く、シャツもよれよれであまり好感の持てる感じはしない。肩にしょっているリュックタイプのバッグはだらしなく腕の方に下がっている。


一体誰?

たまたまこのチームの練習場に来たファンが迷っているのかもしれない。だったら、皆が練習しているグランドへ案内すればいい。



そう無理矢理考えている自分に岬は気が付いた。
ただ無理矢理決め付けている考えとは別に本能からくるのだろうか。この男を見つけた瞬間から、頭の中で警鐘が鳴り出している。


危険
早くここから移動しないと。
早く若林に会わないと。


真正面に立つこの男からは、以前から感じる視線を感じた。
冷や汗を流す岬は、ごくごく自然を装いながら若林の姿を捜した。
若林もいるはずだ。
今、電話で話ばかりで、ここにいると言っていた。岬を待つと約束した。

どこだ。
若林くん、どこだ。

男と目を合わせることも、足を止めることも恐ろしかった。
岬は、俯いた状態でキョロキョロと目で若林を探した。

上目遣いに遠くにそれらしき人物を見つけ出す。
内心ホッとし、足早にその若林と伺える人影に向かい、足を速めた。
向こうも岬に気が付いたのか、手を振っている。大声を出すのは憚れたのか、静かに手を振るだけだったが、岬にはその姿が何より安心感を引き出させた。
が、若林の元に辿り着くには、不審な影を纏っている男の横を通り抜けなければならない。
岬は、安心感と危険感を同居させながら、コツコツと足音を響かせた。


男の横をすり抜ける時、黙ったままの男に何でもなかったのか、と一瞬緊張を払ってしまった。

突然、腕を掴まれた。

驚きの余り、男の顔を凝視してしまった。
口が大きく横に広がった厭らしい笑みが顔に浮かんでいる。目は、見えているのか見えていないのかわからないほどに細められているが、その奥に何かを訴えているように岬を凝視している。
男の顔を見たとたん、嫌悪感がぶわっと湧き上がった。

「岬くん・・・・・。」

声も岬の吐き気を催す声音だった。





岬は、すぐ向こうに見える若林が遠くにいるような気がした。





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2006.11.30




一ヶ月ぶりの更新で忘れちゃった・・・。あわわ。