ー33ー




「岬くん・・・・待っていたんだ、君を・・・。」


か細い声はそれでも芯があり、岬には耳に煩く響く。

「君のこと、全部知っているんだよ。君が買春みたいなことをしていることも、後ろにいる彼とも特別な関係を持っていることも・・・。ぜ〜〜〜んぶ知っているんだ。」
「な・・・・・!」

突然の暴露話に岬は頭の中が真っ白になってしまう。
男はなおも遠慮なく言葉を続ける。

「最近、試合でも出ていないし、買春の仕事もしてないし・・・。君は疲れてしまったんだね。」
「本当は、したくないでしょう?余所の男に抱かれるなんて・・・。でも、君は拒めないんだ。皆、君を無理矢理抱いてるから君は逃げられないんでしょう?」
「試合にもでなくなっちゃったのは、疲れてしまったんだね。みんな、嫌がる君を抱くもんだから、疲れてしまったんだね。
「それなのに、彼は何も君にしてくれない、助けてさえくれない。彼も他の男と同じように君を抱くだけなんだ。彼も君を無理矢理に抱いて君を泣かせているんだ。彼も酷い男だね。」
「あんな男より、僕の方がずっといいよ。君を解放してあげる。僕が君を助けてあげる。」
「後にいる彼にはできない幸せをあげる。彼は君を幸せにしてあげられない、きっと君を不幸にするよ。」

一人で言葉を止めることなく紡ぐ男に岬は身震いした。


何だ、こいつは!
いかれている!


裏の仕事を知っていることには驚かされたが、全てを知っているわけでないようだ。組織のことは何一つ言わないのが知らない証拠といえよう。かなり彼の妄想が入っている。しかも彼の好みの形に変換されて作られているようだが、それが反って救いというべきか。
薄ら笑いを崩さずに男は岬を見つめている。うっとりとした表情がさらに岬を恐怖させた。
が、同時にもしかして、こいつがコーチの言っていた男か、と改めて男を伺い見た。

確かにこの視線には記憶があった。
どこからともなく突き刺さるように向けられる視線。組織のように気配を殺して監視されているのではなく、いかにも素人とわかるが、それだけでなく、何か熱いものを伝えてくる視線。気味が悪く、どうにかならないか、とずっと嫌悪を覚えていた視線。
岬は、今改めて、この男を知っているような錯覚に陥った。
だが、この視線を知っているから安心できるということではなく、逆に、早く逃げなければならない焦燥感に駆られる。


男の言葉に返事をすることなく、掴まれた腕を勢いをつけて振り払う。
男は岬の抵抗に意外だ、と大きく目を見開いた。きっと彼の妄想の中の岬は彼に笑みを浮かべているのだろう。そう思っただけで吐き気がしそうだ、と岬は思った。
ともかく、早く、この男から離れなければ。そして、一刻も早く、向こうにいる若林の元へと辿り着きたい。
焦る岬に男は行く手を塞いだ。

「何処へ行くの?ダメだよ。彼の所に行っちゃあ!僕だけが君を幸せにしてあげられるんだから。だから、僕の傍に居なきゃあ・・・。」





いつもなら姿を見つけてすぐに駆け寄ってくるだろう岬が来ないことを不審に思ったのか、若林は怪訝な顔をする。
途中、若林同様、施設内にいる男に、最初、知り合いかと思い、ちょっと妬きながら二人の動向を見ていたが、なにやら雰囲気がおかしいことに気が付いた。
岬の表情は距離と男の影で見えなかったが、それでも知り合いという穏やかな様子は見られなかった。

「いったい、どうしたんだ?岬のやつ・・・。」

独り言を溢して、どうしようか、と思案した若林に只ならぬ空気が更に届いた。
腕を振り払う岬に男が再度、話しかけているのがわかった。
言葉もはっきりと届いてこないが、何やら言い争いであることが怒鳴り声に近い声音から判断された。
岬から話はなかったが、芸能関係以外にスポーツ関係でもストーカー紛いの行為をする輩がいることは若林でも耳にした事がある。実際、若林自身も一時だが、ストーカーまでではなくとも執拗に纏わり付く女性ファンに苦労させられた経験はあった。
況してや岬は、その容姿からか、女性ファンだけでなく男性ファンからも一種特別な目で見られているのは知っている。もちろん、岬とそういう関係になって、その手の男性の気持ちが分かるようになってから気が付いたことだが。
そして今、通常ではファンとしてはマナーとして入ってこないはずの場所まで来ているこの男。

若林は汗を流した。
岬に危険が迫っている事を知る。

ストーカー紛いの男に威嚇とばかりに大声で岬に声を掛ける。

「どうした〜、岬!何かあったのか?」

岬が振り向いた。いや、岬だけでなく、男も一緒のタイミングで振り向く。が、その顔は嫌な笑みを浮かべていた。
男が見せた笑みの中に若林に声にならない言葉が届く。


『彼はぼくのもの。誰にも渡さないよ。』


若林の脳に危険信号が灯る。

「みさきっ!」

瞬間、若林は岬と男に向かって走り出した。
走りながら再度、二人に目をやると、男の手に何かしら光るものが視界に入った。
男は若林にもわかるようにその光るものを翳すと大きく振り上げられた手を勢いよく振り下ろした。

「危ないッ!!」

若林が叫び、岬の身体に手を伸ばす。

ザシュッ!!




鈍い音と共にあたり一面に紅が飛び散る。

「!!」

岬が目を見開く。



「わかばやしくんっっ!!!」

男も顔を強張らせて、若林を見つめた。

「みさき・・・・・大丈夫か?」

岬を心配する声は優しいものだったが、語尾が震えていた。

「わか・・・・・ばやしく・・・・ん。」

若林の左腕には大きな赤いラインが走っていた。そこからさらに広がる紅。それはすぐに床一面も染めていく。

男は顔を歪めると、「うわあああぁぁぁぁ!」と叫び、突如狂ったように走り去っていった。
小さくなっていく男の背中で、とりあえず岬への危険が去ったことを悟ると若林は「良かった」と一言溢し、崩れ落ちる。

「若林くんっ、わかばやしくんっっ!!」

岬は若林の血で自分の服が染まるのも忘れて、ただただ若林の名前を叫びながら抱きしめるしか出来なかった。






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2006.12.05




若林くんの誕生月なのに・・・ごめん。