ー34ー




「大丈夫か・・・・若林。」

目が覚めると、目の前には金髪の男が立っていた。

「シュナイダー・・・。」

ずっとそうしていたのだろうか、ベッド脇の椅子に腰掛けて本を読んでいたらしい。

「いたのか。」
「まぁな。お前、気持ちよさそうに寝ていたから、ちょっと時間を潰していた。最近、読書に嵌っていてな。」

本を片付けながら笑みを向けるシュナイダーに若林も笑みを返す。本のタイトルはそのまま見逃した。

「悪かったな、待たせたようで・・・。」
「いや・・・・。今日は後片付けだけだから問題ない。」

昨日からわざわざ来てもらっていろいろと手続きを頼んでいたのだが、それらももう殆ど終わったのか、ゆっくりとしている。
シュナイダーは、ベッドの隣にある棚に手を伸ばした。

「果物を貰ったんだ。りんご、食べるか?こう見えても、皮むきは得意だ。」

手にしたりんごをくるりとまわし若林の返事を待たずに、どこから取り出したのか、果物ナイフをりんごに入れた。
器用に皮を剥き、切り分ける。これもまたすでに用意されていた皿に切り分けたりんごを盛った。
ほい、と皿を渡され、若林は黙って皿を受け取った。

「食べないのか?」
「あ・・・・・あぁ、頂く。」

ひとつ手に取ると口をつける。
シャクと心地良い音がりんごの新鮮さを証明した。シュナイダーのさりげない心遣いが嬉しい。

「美味い・・・。」
「それは良かった・・・。そいつはピエールからの見舞いだ。」
「ピエールから・・・・。」

入院して初日に顔を合わせて以来、その姿を見ることはなかった岬のチームメイト。
一時は、あまりの仲の良さに内心嫉妬さえしたが、今はその感情さえ失せている。何せピエールさえ知らない秘密を若林は共有しているのだから。
しかし、今はそのピエールもまったく顔を見せなくなった。
ケガは結構深かったため、今だドイツに帰ることなく最初に運ばれた病院へ入院したまま2週間が経った。
シュナイダーは「若林の頼みだからな。」とわざわざここまで来てくれた。ドイツへ渡ってから続いている彼との友情には若林も何度となく感謝している。よく助けられたり、励ましあったり、ともていい友人だ。とてもありがたい。
入院中はこのりんごの品を持ってきてくれたピエールも時々顔を出してくれた。今日はたまたま若林が寝ていたこともあり、さっさと帰ってしまったのだろうが。
自チームの敷地内で起こった事ということで申し訳なく思っているのもあるだろうし、岬への嫉妬は別にしてもピエールもやはり友人の一人でもある。心配して顔を出してくれるのはとても嬉しい事だ。

若林は歯型がついてしまった手にあるりんごを眺めた。

明日の検査でOKが出ればとりあえず、ドイツに帰る予定だが、その前に岬に会いたい。
岬とはあの事件があってここに運ばれた日からずっと会っていない。
一体どうしたのか、ここは岬の地元なのだから来れない距離ではないのに。毎日、見舞いに来てくれるものと思っていた若林からすれば予想外のことだった。
もしかしてこの事件について警察にでも呼ばれているのだろうか。そんな心配が心の中を占めている。
電話をしても繋がらないのだ。ただごとではないだろう。

実際、若林がケガをしたことがドイツ、フランスだけでなくヨーロッパ各地で報道されてしまったのだ。
本当なら、事が事なので報道規制をしたかったが、運悪く、チームの練習を取材に来ていたマスコミに見つかってしまい、ストップを掛ける前にニュースで流れてしまった。
今は落ち着いたものの、入院当初、病院へ殺到するマスコミ、ファンに病院側も困ってしまったことを思い出す。
それもあり、実は日向なども心配して電話をしてきたぐらいだ。試合日程の関係で来れないのを詫びながらも、心配をしていた。日本からも何本も電話が届いた。
それには明るい声で、「大丈夫だ」と伝えた。日向などは、岬のことも気にしていたが、それも「問題ない」と答えた。
唯一つ、翼からは何の音沙汰もなかったが・・・。


ピィと鳴いた鳥の声に窓の外に目をやる。
大きくため息を吐きたいのを我慢して、若林は手にしていた残りのりんごを口に放り込んだ。
若林の口が空になったのを合図にシュナイダーがポンとベッドの上に新聞を投げて寄越した。

「何だ?」
「フランス語だが、多少は読めるだろう?」

「あぁ」と頷き、若林は新聞紙を広げた。
ドイツ語ほど読みなれていないが、なんとか目をやって書いてあることを理解しようとした。
まずはそこにある『ミサキ』の文字に慌てる。一体何が書かれているのか、と逸る気持ちを抑えてそこに書かれている内容をじっと見つめて、ゆっくりとだが理解する。
暫くすると、バサッと新聞を思い切り叩きつける勢いで若林は顔を上げた。

「どう言う事だ、こりゃあ!」

怒りで握り締める新聞紙がぐちゃぐちゃになってしまうが、そんなことは気にせず、若林はシュナイダーに詰め寄る。
バサリと新聞紙がしわくちゃのまま床に滑り落ちた。
シュナイダーの方は若林の反応に多少は驚きはしたものの、若林が掴まれた襟首を冷静に外した。

「今朝、ピエールからその新聞を若林に読むように預かったんだ。わざわざホテルまで持ってきてくれてな・・・。」

それで見舞いだとかいいながら、本人はいなかったのか。と若林は思った。
いや、そんなことはどうでもいい。

「俺もフランス語の新聞は読みなれないから時間が掛かったが、その記事を読んで、ちょっと慌てたよ。が、お前に話していいのかどうかも、悩んだ・・・。」

床に落ちた新聞紙に目をやる。
ゆっくりとした動作でそれを取り、きれいに畳み直して、若林の横に置いた。
シュナイダーに詰め寄りベッドから乗り出していた若林は、今度は新聞を落とさないように静かにベッドに座りなおす。

「岬は・・・・・。」
「ピエールの話だとやはり彼も連絡が取れないようだ。どうやらそこにあるように行方不明とみて妥当だろう。」

力ない質問にも、淡々と答えるシュナイダーに怒りの矛先が向かうのはお門違いだろう。
若林も努めて冷静になろうとするが、声が震えてしまうのはどうしようもない。

「行方不明・・・・。だから、電話も繋がらないのか・・・。」

カツと足音がした。
若林が顔を上げると、シュナイダーが彼の正面に立っていた。

「お前は明日が退院だ。それもあって俺はここに来たんだ。わかっているな・・・。」
「俺は・・・・。」
「俺はいったんホテルに帰る。明日また向かえに来るから、それまでに支度をしておくんだぞ。残りの手続きもこちらで行うからな・・・。」
「・・・・・・。」

用件を伝えるとそのまま出て行こうとするシュナイダーを若林は慌てて止める。

「待ってくれ!」
「なんだ?」

くるり、とドアの前で振り返るシュナイダーはやはり無表情で若林を見つめ返す。

「もう少しフランスにいる。」
「何故?」
「岬を捜す。」

若林の言葉をやはり予想していたのだろう。シュナイダーは、ふっ、と息を吐くと。「ダメだ。」と一言、若林の思いを断ち切る。

「どうせ帰ったってすぐに復帰するわけじゃないだろうが!」

小さかった声が大きくなる。が、それに畏縮することもなく、再度「ダメだ。」と伝える。

「ドイツに帰ってから再度病院へ行く手続きも、飛行機の手配も済んでいるんだ。飛行機も明日のチケットをすでに手に入れてある。お前はまだ完治したわけじゃない。本当なら明日、退院して移動することさえできない体なんだぞ。それをお前が早く復帰したいというからまずは、とドイツへ帰る手配をしたんだ。わかっているのか!」

トーンは変えずに、それでもピシリと若林の訴えを跳ね除けるシュナイダーに若林は噛み付く。

「俺は、確かに早く復帰したいと、言った。だが、早くドイツへ帰りたいと言ったわけじゃない!そっちが勝手に手続きしちまったんだろうが!」

若林の言う事ももっともだった。自分が動けない体の為、シュナイダーにいろいろと手続きを頼んだのは事実だが、本来の若林の希望とは違う形にしてしまったのは、シュナイダーの独断で進めたことだった。
若林としては、退院はしても、きちんと岬と連絡を取ってから、岬の安全を確認してからドイツへ帰るつもりだったのだ。

「若林。お前、わかっているのか?」
「何が!?」

ギリと奥歯を噛み締めて若林はシュナイダーを睨みつける。
まったく、とシュナイダーは肩を竦めた。

「これはフランスで起こった事件だ。俺達が首を突っ込むことじゃない。」
「でも、俺は当事者だ。被害者だ。俺には事件の真相と結果を知る権利はある!」
「事件はもう済んだんだ。これ以上は関わるな!!今回の話はお前は関係ないことだ。首を突っ込むとお前まで関係していると思われるぞ!!」

シュナイダーの言うとおり、岬が襲われた事件そのものはすぐに解決した。
犯人である男はその日のうちに捕まったのだ。いや、捕まったというのは、違うか。自殺という結果で全てが終結してしまった。
その日の夕方、ビルの屋上である男が飛び降りた。遺書はなかったが、誰も入れないようになっていた屋上のフェンスを破り、荷物を全て整理して、男は飛び降りた。
それが岬を襲い、若林にケガをさせた犯人とわかるのに時間は掛からなかった。
それらがニュースで流れたのも、その日のうちだった。
結局は、暴走したファンの妄想的犯行ということで片が付いた。
岬は若林に「犯人の自殺は組織がやったことかも。」とニュースを見た時に話していた。
でも、犯人は自殺という形にはなるが事件は一旦終結したのだ。岬への危険は回避できた。ということで、その日は、病院に泊まることもできないため、岬は「また来る。」と約束してその日は帰ったのだ。
それだけで、全てが済んだはずだった。

結局、岬から次の日、電話で「事件のほとぼりが冷めるまで外に出られない」ということでここに来れない旨を伝える連絡があったのみで、岬とはそのまま音信普通になった。
事件が終わったのに、マスコミやら見舞いのファンやらで病院に顔を出しにくい状態だったのも事実であり、仕方なしと若林は思ったのだが、ほとぼりが冷めても岬が一向に病院に来る気配はなかった。どころか、電話さえ繋がらなくなってしまった。
だったら、こっちから行こう、と早々に退院の申請をしていたのだ。
ついでに帰国後のこともあるから、と全ての手続きをシュナイダーに託したのが悪かったのだろうか。

若林は彼に手続きを頼んだ事を後悔した。

「クソッ!」

若林は憎憎し気に新聞を見つめる。

そこには、岬が行方不明ということだけでなく、今まで岬が行ってきた売春の仕事をしていたことと八百長試合を行っていたと書かれていた。
そして、フランスサッカー界の追放。
この静かな時が流れている病院とは対称に、突然の事態に岬の回りが慌しくなっている。


岬に連絡を取りたい。
そう思うが、連絡の取りようがなかった。





皺の残る新聞には、彼が以前、チーム優勝に貢献した時に見せた笑顔が写っていた。





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2006.12.10




今回、岬くん、出番なし・・・。