ー35ー




自宅に着くと、ドサリとソファに倒れこむ。
相当疲れたと若林は思った。当たり前だ、まだ傷が塞がったわけでない。
座り込んだ瞬間に痛む脇腹に顔が歪む。
それを見たシュナイダーが心配気に声を掛けた。

「そのままベッドに入ったらどうだ?食事なら何か調達してこよう。まだ食べる物が限られていたよな、確か・・・。」
「いらない。」

心配しての言葉にもそっけなく答える。

「まだ怒っているのか。」
「・・・・・。」

荷物をテーブル脇に置くシュナイダーを見つめていたが、シュナイダーの言葉にどうやら無意識に睨みつけていたと自覚した。

「お前の為だ。」

腕を組んで、シュナイダーが若林に言う。

「俺の為だったら、何でフランスに留まっていないんだ。俺はこんな風に頼んだ覚えはないぞ。」
「チームのこともあるだろうが。」
「どうせ、帰って来たって試合にはまだ出られないんだ。」
「それでもだ!お前は自分の立場をわかっていない。」
「ちっ」

シュナイダー言葉に舌打ちするが、間違ってはいない。返す言葉が咄嗟に思いつかなかった。

「ピエールからも言われているんだ。もう岬に関わるな。」

それこそ若林を怒らせた。

「お前には関係ないだろうが!俺達の問題だ。」
「俺達・・?」

シュナイダーが眉を顰める。シュナイダーこそ怒っているようだった。

「あぁ、俺達の問題だ。」
「岬の問題だ。売春のことも、八百長のことも、岬がやったことだ。お前は関係していないだろうが。それとも何だ、お前はどうやってフランスリーグの八百長に関係してたってんだ?」
「そんなことはでっちあげだ!岬は何も・・・!」

やっていない、と言おうとして声が詰まった。口に手を当てて黙ってしまった。

確かに八百長にはまだ関わっていないはずだ。岬もそう言っていたのを覚えている。
が、もう一つのことは。
若林も実際に目にして耳にした事実なのだ。
火事を装い岬をホテルから連れ出した時のことを思い出す。あれは確かにあったことなのだ。その後、若林が岬を抱いたことも含めて。

言葉に詰まって黙ってしまった若林にシュナイダーが一歩歩み出る。

「お前、何か知っているのか?」

怪訝な顔付きで若林を見つめるシュナイダーに若林は戸惑った。
ここで知っている、と言ってもいいものだろうか。
一度は岬と一緒に地獄に落ちても構わないと覚悟を決めた。その気持ちに今も偽りはない。
が、この状況でそれを暴露したところで、それこそ組織に関する証拠があるわけではない。
今回のニュースになっていることは岬単独で行われていることになっているのだ。組織に関わっているコーチの名前さえ岬の口から耳にはしているものの証拠という形では出てきてない。いろいろと調べてはいるが、まだ証拠は掴んでいない。
ましてや今は岬自身、行方不明なのだ。シュナイダーに話したところで笑われるのが落ちだ。

「・・・・・・・・いや。」
「だったら余計なことは何も言うな。お前まで疑われるぞ。」
「だが・・・ツッ!」

立ち上がろうとして痛みに顔を歪める。
こんな状態でも、若林としてはこの岬を陥れるニュースを何とかしたかった。
岬は望んでやっていたわけではないのだ。
いつも裏の仕事があった晩は電話が掛かってきた。いつも泣いていた。若林には辛いと訴えていた。
その身体を抱きしめたい衝動を押さえて、岬を抱いた人間を憎む気持ちを殺して、岬を慰めていた。
誰も知らないのに。
岬がどれほど辛かったのか、知らないくせに。

「クソッ!!」

痛みを払拭させるべく、ダン、と机を叩いた。
ドンと机が揺れて先ほど置いた携帯が机から落ちた。
咄嗟に携帯に手を伸ばす。

「どうするんだ?」
「もう一度、ピエールに岬を捜してみるように頼んでみる。」
「止めとけ。」
「だが!」
「何度も言わせるな。ピエールだって疑いの目が向けられているんだぞ。岬と親しかったからってだけで。そんなヤツに岬のことを頼んでみろ、アイツまでサッカーができなくなるぞ。」
「・・・・。」
「これ以上、誰にも迷惑を掛けるな。」

シュナイダーは大きく深呼吸をすると、キッチンへと向かった。
勝手知ったるで、若林の家の冷蔵庫を開ける。

「ミネラルウォーターがあった、飲むか。」

シュナイダーも若林のことを心配してのことなのだ。
若林も頭ではわかっている。

「あぁ・・・・。もらう。くれないか。」

ペットボトルを二つ手に取ると、ゆっくりとした足取りでリビングに戻ってくる。
そっと若林に一つを手渡すと自分の分の蓋を開けた。
若林も軽くボトルを一振りすると蓋を開け、喉を鳴らして水を飲んだ。
ゴクリゴクリと喉を通る音が響く。
半分以上飲んで、一度息をついた。

「ともかく今はゆっくり休養をとり、身体を早く治すことだ。」
「・・・・・。」
「全てはそれからだ。」
「シュナイダー」
「俺はまだ岬が本当に記事になっていることをやったと信じているわけじゃない。俺に取っても大事な友人の一人だ。」
「シュナイダー」
「だが、今は時期が悪い。」
「・・・・・・それはわかっている。」
「心配なのはわかるが、今、お前が動けば反って状況が悪くなるだけだ。今頃なのも不思議だが、襲撃事件の犯人の遺書から岬のことが漏れてこうなってしまったんだ。実際に関係がないとしても、お前も襲撃事件の時に現場にいたんだ。岬のことに一枚噛んでいると思われても仕方が無い。それをなんとか何も無い事になっているんだ。わかるか?」
「・・・あぁ。だが、もしあいつの身に何かあったら。」
「岬も日本代表を務めたことのある選手だろう?」
「あぁ。」
「だったらしぶとい人間のはずだ。そうだろう?お前達のしぶとさには毎試合、俺達は泣かされているんだ。話が違っても岬もちょっとやそっとで挫ける人間ではないと俺は思っている。」
「あぁ。」
「若林、お前が岬を信じてやれなくて、どうする。」
「あぁ。」
「俺にもできることは協力する。だから、今は大人しく我慢しろ。」
「あぁ。」

目を瞑り塞ぎこんでいる若林を元気付けるつもりでシュナイダーはポンと肩を叩いた。

「腹が減っただろう。何か仕入れてくる。」
「あぁ・・・・悪い。」

若林の納得した言葉を聞いて安心したのか、シュナイダーは財布を手にすると、そのまま軽く手を上げて出て行った。
若林はシュナイダーの消えたドアを見つめて呟く。

「でも、事実もあるんだよ。シュナイダー」

ポツリと口から零れた言葉に若林は流せない涙を流した。








暫くそのままソファに身体を預けて休んでいると携帯が鳴った。
ぼんやりとしていた頭がとたんに覚醒する。
慌ててそれを手に取り、ディスプレイを覗く。
咄嗟に岬かと思われた若林の期待は表示されている名前を見て、急激に萎んだ。
携帯の着信ボタンを押す。

「久しぶり・・・・。若林くん・・・。」
「翼か・・・・。」

本当に久しぶりだった。
以前、岬と若林の関係を知られて、ショックのあまり縁を切る勢いで別れてからずっと連絡を取っていなかった。
それが今頃。と、思い、若林は合点がいった。

翼も知ったのだろう。岬の事件を。
小さいながらもその報道は、フランスだけでなくヨーロッパ全土に流れていたはずだ。

「ニュース見たよ。どう、ケガの具合。」
「もう大丈夫だ、ほとんど治っている。今日、ドイツに戻ったところだ。」
「そう・・・。」
「・・・・。」

会話が続かない。若林はどう翼と話をしていいのか、考えた。
心配している言葉ではあるが、声音から察するにまだ岬とのことは翼の中で消化できていないようだ。

「まだ続いているんだね、岬くんと・・・。」
「あぁ。・・・・・だったらどうした?」
「もういい加減、切れたら?岬くんと・・・。」
「翼。」
「今日のニュースだと、岬くん。相当じゃない。」
「翼!!」

信じられなかった。翼からそんな言葉が出るとは。
目眩が起きそうだ。

「本当に岬くんにはがっかりさせられるよ。」
「翼、お前、信じるのか。あの報道を!」
「火のない所に煙は立たないっていうじゃない。」
「放火だってこともあるだろう。岬はそんなヤツじゃない。」
「何言ってるのさ、若林くん。現に僕は君と岬くんの現場を見ているんだ。信じるなっていう方が無理じゃない?」
「俺達は!!」
「一緒だよ。岬くん、男に抱かれて喜んでいたんだろう?」
「翼っっ!!言っていいことと悪いことがあるぞ!」
「岬くんこそ、やっていいことと、悪いことがある。」
「・・・・!」
「八百長までやっていたなんて、本当に岬くんには失望したよ。」
「本当にそう思うのか、岬がそんなことをする人間だって。」
「・・・・・。」
「翼!」

若林は怒りで携帯を握る手が震えた。

「僕は君に最終通達のつもりで電話を掛けたんだ。」
「何?」
「岬くん、行方不明なんでしょう?だったらちょうどいい機会じゃない。これを切欠に岬くんとの関係をきれいさっぱりと忘れて欲しいんだ。」
「お前・・・!」
「まさか、若林くんまで加担していないでしょう?八百長。」
「お前、俺がそういう人間だと思っているのか!?」
「ううん。思わない。・・・・だからこそ、今の内に昔の若林くんに戻って欲しいんだ。純粋にみんなでサッカーをしていた頃の君に。」
「つばさ・・・。」
「ね、お願いだよ、若林くん。僕は君とまで縁を切りたくないんだ。」
「岬はどうなる。」
「岬くんは、相応の罰を受けるべきだよ。それだけのことをしたんだもの。」
「俺の言葉を信じてもらえないだろうか、翼。」
「信じるさ、若林くん。君がそれだけのことを証明できたら。」

電波に乗った翼の声は淡々としてしか届いてこない。本当に翼は岬に対して何とも思っていないのだろうか。
誰も、岬を助けてやれないのか。
誰も、岬を信じてやることはできないのか。

今、誰一人、たった一人で苦しんでいる彼を救ってやることはできないのか。
自分さえも・・・。

いや、シュナイダーも時期が来たら協力する、と言ってくれた。
ピエールもきっと動けるようになったら力を貸してくれるはずだ。



それは本当にか。
若林を納得させる為の方便ではないか。

誰もが翼のように岬を蔑んではいないか。




あぁ、誰も信じられない、と若林は思った。





岬はきっと一人で泣いているんだろう。
きっと俺の助けを待って。

だが、若林も何もできない。




きっと岬こそ、誰も信じられなくなっているんだろう。




岬は自分を最初の頃以上の冷たい目で見るのだろうか。

そう考えると恐ろしいまでの不安に駆られて、若林は通話ボタンを切った。





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2006.12.20




読み返すと「あわわ・・。」ってとこがあるけど、気にしない気にしない、一休み一休み←え?