ー37ー




「僕、施設をちょっと抜け出してきたんだ・・・。」

そう溢す子どもは、その言葉を証明するほどに身奇麗ではない。とはいえ、そうみずぼらしいというわけでもない。
よくわからない。施設とこの子どもと岬と。
一体どういう関係があるのか。

もしかして、組織に追われてどこか養護施設のような施設で匿ってもらっているのだろうか。だったら、すぐにでも行って岬を連れ出そう。

そう勝手に判断し、動き出そうとする若林に子どもは慌てる。

「待って!岬を助けてくれないの?」

どうやらその子どもは若林が関係ないとばかりに逃げをうつと思ったのだろう。
宥めるように頭をポンポンとする。

「もちろん、助けるさ。あいつがどこにいるか教えてくれるか?今からすぐに行こう。連れてってくれ!」

早急に行動に移そうとする若林に、またもや子どもは若林を引き止める。

「待って、ワカバヤシ!入れないんだ。」
「入れない?」

話がまったく見えない。
今、「助けてくれ」と言った子ども自身が、その岬のいるだろう施設に「入れない」と言う。

「お前の言う事は、全然わからん。どういうことだ?」

怒鳴りたいのをなんとか押さえて、若林は子どもに説明を求めた。
若林の顔を見上げた子どもは、話が長くなると暗にいっているらしく、徐に少し離れた位置に設置されたベンチの座った。
観光客が多いからか、景観のいいその街はやたらとあちこちに花や木が植えられ、それに併せてベンチも多く設置されていた。その一つに若林も釣られて隣に座る。
わずか離れたところにある浜辺からは、小さくだが歓声が届く。対称に自分達のまわりは静かだ。
子どもの声が透き通るようによく聞こえる。

「外の人間は出入りできないんだ。」
「外?お前はいいのか?一体どういう施設なんだ・・?」

若林の疑問も当然だろうが、それに対する説明は難しいのだろうか。「え〜と・・・。」と言葉を捜している。
まだ小学生ぐらいの子どもには説明しづらい複雑な状況が岬のまわりにあるのだろうか、とふと思う。そう気づくと、若林は射ても立ってもいられなくなるが、如何せん状況がわからない。稚拙だろうが、子どもの説明を待つしかない。




「組織の施設なんだ・・・。」

「な・・・!!」


突然、小さく零れた単語に思わず若林はガバリと立ち上がった。
若林の驚愕に子どもの方が驚いた顔をする。目を見開いて若林を見つめている。
そんな子どもの様子も頓着せず、咄嗟に若林は子どもの肩をガクガクと揺らして詰め寄る。

「どういうことだ!!岬は、組織から逃げたんじゃないのか?どこかの施設に匿ってもらってるんじゃないのか?それに、組織の施設って!!捕まってるのか、あいつは?一体何をされているんだ?あいつは大丈夫なのか?」
「痛い・・・。」

あまりに強く詰める若林に子どもは顔を顰めるが、加減ができなかった。

「お前・・・・まさか・・・組織の人間なのか・・・・?」

一瞬頭に浮かんだ最悪な状況に、若林の手がすうっと子どもから離れる。ゆっくりとベンチから離れて後ろを振り返り、改めてその場を去ろうとした若林に子どもは慌ててストップを掛けた。

「だから、入れないんだ。待って!ワカバヤシ!!」

彼の言葉も耳に入らないようでそのまま去ろうとする若林の服を掴んで止める。そのまま引き摺られそうなほどの勢いだった。ここで若林を見失ってはいけない、と必死だ。

「岬が待ってる!」
「ミサキは誰も待っていないよ!!」

ピタリと若林の動きが止まった。
ゆっくりと顔を向けると子どもの瞳からなにかが溢れているように見えた。

なんて、空が青いんだろう。
あぁ、長閑な景色と歓声が辺りにいっぱいだ。
暖かい陽射しと美しい草花が一面に溢れている。

関係ないことが若林の頭に浮かんでくる。
この平和な景観とあまりにかけ離れた現実。

岬は大丈夫なのだろうか。

「ミサキは誰も待っていない。でも、待っているんだ。」
「意味がわからん・・・・。」

子どもの言葉があまりに現実離れしているのだが、この子にとては現実なのだろう。
そして、岬にも・・・・。
岬の名前に逃避したくなる現実に引き戻される。


事は若林の想像以上の展開になっているようだった。

「僕の話を聞いて、ワカバヤシ・・・・。」

今だ服を掴んだ手を離さない子どもに若林はため息を吐き、再度、どっかりとベンチに腰掛ける。

「聞いてやるから、手を離せ・・・・。」

若林の言葉に安心したのか、子どもももう一度、ベンチに座った。
今は人通りがなくて良かったと、顔を上げて若林は思った。
他人が見たら、通報し兼ねられないだろう、異様な雰囲気を自分達は醸し出している。下手をしたら、組織に監視されているのではないか、とチラリを周りを伺った。
それを察したのか、話を始める前に子どもが「大丈夫」と言う。

「僕、今、施設を抜け出してきてるんだ。施設では上手く岬が誤魔化してくれているから、ばれてないよ。だから、監視はないよ。でも、すぐに戻らなきゃいけないけど・・・。」
「お前、名前は?」
「ウィルソン・・・・。ウィルってみんなから呼ばれている。」
「ウィル、お前も組織の人間なのか?」

顔を強張らせて、改めて聞く。
組織の人間だったら、こんなことを聞いても無駄だろうが、まだ年端も行かない子どもすら組織の人間とは思いたくない気持ちだった。
最初の「ミサキを助けて」の言葉を信用したいと思う。あの時の、この子どもの表情に決して嘘はない、と若林は思った。

「僕は、どっちかというと、ミサキと一緒の立場だよ・・・・。母さんが病気で入院していて・・・・お金をくれるから組織の言う事を聞いているけど、逆らったら母さんを殺すっていうんだ・・・。だから組織の言う事を聞かなきゃいけないんだ。」

改めてその組織のやり方に反吐が出そうだった。きっと関係している人間のほとんどが何かしらの理由で脅されているのだろう。

「施設っていうのは、何の施設だ?もしかして買春紛いのことさせられているのか?」

あれからどれくらい経ったのだろうか。あの時の岬の悲しげな顔を若林の脳裏に蘇った。
本当に好きで男に抱かれているのではない、と若林に訴えた時の顔。でも、それを止める事ができない状況。
まだ、そのまま彼の苦行は続いているのだろうか。

「表向きは確かに養護施設ってことになってるけど。施設ではサッカー選手を育てているんだ。僕の教えてもらっているその一人。」
「なんだ・・・。」

意外な内容に驚く。
結構まともなこともやっているのか?でも、だったらどうして彼らを脅してまで・・・。

「所謂、英才教育ってヤツだけど、サッカー選手としてって言っても普通じゃないよ。普通にサッカーの練習もだけど、いかにして、八百長をするか、反則行為をするか、どちらかというとそんなことが中心。それ以外にも、いかにして男を誑かすかとか、酷いグループでは、人を殺すことも出来る人間を育てているんだ。」
「なん・・・・!」

若林の驚きは隠せなかったんだろう。
その表情を見て、ウィルは自嘲した。

「僕は今、ちょっと施設を抜け出して、母さんの様子を見に行った所だけど、その帰り。組織から見張られながら母さんのお見舞いは時々出来るんだけど、時間もきめられちゃってるし、話もロクに出来ないから・・・・・。母さんは何も知らなくて、善意ある人が僕を世話してくれているっていうことになっているから母さんには何も言えないけど、時々、監視の目を盗んで、こうやって外に出て母さんが本当に治療されているのか見に行くんだ。」
「お前以外にも、多いのか?そういう子どもは?」
「うん・・・・。今は、僕を入れて30人はいると思うよ。」
「そんなに・・・・。」

若林はウィルに同情した。彼もまた犠牲者なのだろう。
が、実質、まだ実際に動いていない分、岬よりもいくぶんかはマシだろう。
まずは岬の方が心配だった。
岬は、組織に反抗しているだろう、と取られても仕方ないこともしている。彼に責任はないにしても、騒ぎになった事件もある。もちろん、それは自分が関係した所為もあるのだが。

「岬は一体、施設で何をしているんだ。それに、お前、俺のこと知ってたのは岬から聞いたからだろう。『助けてくれ』っていうぐらだから。」
「ミサキは・・・。」

俯いてウィルは話す。

「ミサキは施設で、僕たちにサッカーを教えてくれてるんだ。いろんな技、彼から教わったよ。ミサキのサッカー、素敵だね。」
「そりゃあ、あいつはフィールドのアーティストなんて言われたぐらいだからな。一流のサッカー選手だ。」
「それに、いつも僕たちに優しくて、・・・・まるでお兄さんみたい。施設から出られない僕たちにサッカー以外にもいろんなこと、教えてくれたよ。日本のことや、他の外国のこと。学校のことやお友達とケンカしたこと。・・・同じ部屋で寝てて、いつも寝る前にお話してくれるけど、どれもこれも面白くて、僕たちいつも寝るのが遅くなっちゃうんだ。でも・・・。」
「・・・?」
「時々、夜、呼ばれて部屋から出て行っちゃう時がある。次の日の朝食までには帰ってくるけど、そんな時はいつも疲れた顔をしてる。」
「そりゃあ・・・。」
「僕も知ってるよ。男の人に抱かれてるんでしょう?そういう教育されている子もいるもの。どの子もみんな綺麗な子ばかり。」

若林の眉間に皺が寄る。
が、どうしようもない。

「でね、僕たちが心配するとミサキはいつも言うんだ。「大丈夫だ」って。「ワカバヤシくんがいるから、大丈夫だ。」って。「ワカバヤシくんが、サッカーで頑張ってるんだから、僕も頑張ってるんだ。」って。知識として情報はもらえるから僕はワカバヤシがわかったけど、それよりも何よりも、ミサキがいつもワカバヤシの名前を呼ぶんだ。僕たちと違って、そこから出られる日がないのに。ずっと・・・、一生、そこにいなきゃいけないのに。ミサキはわかっているんだ、そのこと。だから、ミサキはいつもワカバヤシに会えるのを待ってるんだけど、待っていないんだ。ミサキは・・・。」


あんな事件を冒した人間をもう一度、サッカー界に戻すことは考えていないのだろう、組織は。例え、八百長試合をさせるためでも。その代わり、今後の岬の変わりになる人間を育てているってところだろう。

ギリと歯軋りする若林にウィルが顔を上げる。

「ワカバヤシ・・・・。ミサキを連れて逃げて!ミサキを助けて。彼、口では言わないけど、きっとワカバヤシのこと、待ってるよ・・・。」
「ウィル・・・。だが、お前達は・・・・。」

若林もウィルの言う通りにしたかった。が、それが本当に岬の望んでいることだろうか、この子どもを置いて。

「だって、僕は本当なら、今も施設にいるはずだもん。ワカバヤシには会ってないんだよ。」

そうくすりと笑うあどけない顔に若林もふっと笑う。

「そういやぁ、お前、何で俺の鞄狙ったんだ?施設に戻る途中だったんだろう。」
「監視されているから、お金持っていないんだ。でも、ミサキや他のみんなに時々、買ってあげるんだ。お菓子とか、好きなものを。みんな、好きなものも好きなことも我慢しているから。僕が抜け出したのを隠してくれてるから、そのお礼。ミサキは「お金を盗んじゃダメ」って怒るけど、それでも笑うんだ。今日は、ミサキに、お饅頭を買ってあげたかったんだ。この間見つけたんだ、日本のお饅頭を売っているお店を!」
「お饅頭?」
「うん、ミサキにお饅頭の話をしたら、もうずっと食べてないって言うから。だから、ミサキにお饅頭を食べさせたくて、そのお金が欲しくて。でも、お饅頭よりももっといいことがあったよ。」

最初は、「助けて」と言いながらも少なからず警戒心を持っていた子どもは、すっかりと年齢相応な顔つきをしだした。
こうやって見ると、子どもっていうのは無邪気で可愛いものだと思う。例え、どんな状況にいても。
若林は軽く笑うと立ち上がった。

「ワカバヤシ・・・?」
「お饅頭買うんだろう。まだ時間はあるか?」
「う〜〜〜ん。あんまりない。もうすぐ点呼の時間だ。それまでに施設にもどらなきゃ・・・。」
「だったら急ごう。」

通りに設置されている時計に目をやり、ウィルも立ち上がった。



「岬のいる施設まで俺を案内しろ。もちろん、饅頭も渡してやれ。」

ニッと笑う。
ウィルも笑うが不安そうだ。

「ワカバヤシは・・・。」
「俺は中の様子がわからないから、暫く様子を見る。今、行っても組織の人間に見つかるだけだ。お前、次に抜け出せるのは、いつだ?」
「1週間後。」
「わかった。その時にまた、ここで落ち合おう。それまでに岬を連れて逃げる計画を立てておくから。」
「うん・・・・。」






中に乗り込みたいという逸る気持ちを抑えて若林は、監視の届かない位置でウィルを見届けた。


青空を改めて見上げて、若林は思う。


もう一度、この空の下で岬の笑顔を見たい。






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2007.01.27




お饅頭、美味しいよね♪